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- Re: 【ただの独り言雑談】×【西方見聞録と国内編】の伝記 ( No.63 )
- 日時: 2023/09/30 20:48
- 名前: メテオール (ID: YOiERuKP)
【西方見聞録:D】
D:色々見て回ったよ《ドイツ・ベルリン篇》《発見》
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D‐C:名所巡り
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《ペルガモン博物館》
ヘレニズム文化の観れる博物館。
私は、これに関する芸術的知識を有してないから、説明は極めて困難である。
とは言うものの、現物を観てる時点で、一般とは一線を画す水準にある為に何か書いてみよう。
調べてみたところ、情報がありますね。
詳しい情報があるとなると大抵、それほど真新しいものではないのかな?
そんな風に考えてしまう。
現地の情報とインターネットの情報では、違和感を覚える。
「エジプト文明だったか・・ヒエログリフとは異なるあの文字は、一体何だったのだろう?」
「ひらがな混ざってたような気がするんだよ。」
ふと些細なこととして思い出すことが、まずこのことである。
それほど印象に残っていた訳でもなく、必要性のある情報でも無いと判断していただけに、いざ再認識するとなると、不確かな記憶だけを辿っていく羽目になった。
記録を残していなかったのだ。
しっくりこない。
ただ、懐かしくは思えるかな。
以上:
斯様な話をしていたからかは分かりませんが、偶然にもドイツ・ベルリンから東京にエジプト展が来ています。
本当ちょうど良く来日してるのですよね。
参考:
『【公式】古代エジプト展 天地創造の神話』
『特別展「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」』
他、多数。
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《ベルリンの壁で何が起きていた!?》
ファンタの話。
ベルリンの壁があった、米ソ冷戦時代のちょっとした象徴、それがファンタである。
アメリカ空軍が強引に東ドイツにファンタを降下(投下?)してた。
ファンタとは?
『コカ・コーラ社は1929年にドイツに現地法人を設立してドイツでのコカ・コーラ生産を開始した。
不況期のスタートであり、1929年の販売量は5,840ケースに過ぎなかったが、ナチス・ドイツ政権下での売り上げと生産の伸張は大きく、1939年の販売量は450万ケースにまで激増する成功を収めた。』
とされている。
思ったよりも歴史の古い飲料ですね。
そして第2次世界大戦後、ソビエトの管理下に置かれてしまった東欧圏。
つまり、東ドイツ。
ベルリンの壁のあった東側では、ファンタは生産されていなかったと思われる。
そういった流れから、アメリカ空軍が強引に東ドイツにファンタを降下していたという話である。
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《トルコ人はどのようにして東側に入り込んだのか?》
ドイツと言えば、トルコ移民だらけの国で有名である。
或る質問をしたことがある。
「ベルリンの壁のあった時代に、トルコ人達はベルリンの東側に存在したの?」
誰もそんな話をしたこともなく考えたこともなかったせいか、誰も知らなかったのだ。
そこで、調べてもらった。
驚いたことに!?
壁のあった時代から、東側にトルコ移民は存在していたとのことだ。
そのトルコ移民は、どのように生活していたのかは質問しなかったが、恐らくケバブのお店を経営していたのではないかと推測する。
どのように入り込んだのかも不明にあって、この話を知った時は少々騒ぎになった。
それでは、仮にケバブを経営していたとして、どのようにして羊肉をドイツ東側に持ち込んでいたのだろうか?
もしそうであるならば、そのトルコ人について行けば、東ドイツ人は幾らでも脱出が出来たのではないか?
全くもって謎なのである。
トルコ人が紛れ込んでいたという、ここまでの歴史事実は中々の発見だとは思う。
今なら更に踏み込んで質問をしたいことがある。
ソビエトが解体されることとなる訳ですが、この要因の1つとして、物資の不足にあったことだ。
お金はあっても物のない世界が共産主義陣営で起きていた。
バナナが貴重品であったとされる東ドイツの世界観。
そんな状況であるならば、紛れ込んだトルコ人ならケバブが大繁盛していたのではないかと思うのである。
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《チェックポイントチャーリー》
チェックポイントチャーリーという場所では?
確かポツダマー・プラッツでしたっけ。
米ソ冷戦真っ只中の時のことです。
1度だけアメリカ軍とソビエト軍が一触即発の時があった。
戦車など軍隊の膠着状態が約2週間に及び、距離にして約50mの睨み合いだったと思われます。
(日数と距離に関してはおおよそであって、明確ではありませんのでご了承下さい。)
誰かが仮に銃を1発でも誤射したら、第3次世界大戦が勃発していたと言われている。
余談として:
・まず一点
ベルリンの壁東側は、当時地雷が埋まっていたとのこと。
暴露していますが、こんな情報を持っている者は、日本で数える程しかいないと思われる。
・もう一点
映像として記録されたものがあり、白黒テレビの時代かと思われる。
ドイツ東側から壁の西側に脱出する者が後を絶たない話は有名であり、見つかればシュタージに即射殺されるのだ。
家でもそのような話は厳禁とされていたらしく、家族であろうと密告する者がいたとのこと。
・家屋内から穴を掘って西側に逃亡を企てよう等といった、誰でも考える状況はどうなっていたか?
無理な程に厳重だったと言われている。
そこで脱出例として、車高の低い車を開発した者がいた。
高さは、おそらく50pくらいであろうか、仰向けになれるだけの空間である。
壁は有刺鉄線(鉄条網?)と最も手薄な場所を狙い、一気に突破するというものであった。
成功したかどうかは不明である。
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複雑になってきたので、見易くする為に目次を作成しました。
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目次:
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【色々と役に立つ情報:A】はこちら( No.122 )>>122
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