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- Re: 【ただの独り言雑談】×【西方見聞録と国内編】の伝記《音楽篇》 ( No.43 )
- 日時: 2023/10/20 12:34
- 名前: メテオール (ID: YOiERuKP)
【国内編《音楽》:A】
《クラシック界の西洋の巨匠たち》
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はじめに:
或る音楽番組にて、ラヴェルの曲『ボレロ』を特集していたから観てた。
ふと、思い出したことがあるから、何か書いてみようかな。
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Y‐V:モーリス・ラヴェル(西洋音楽史)
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《モーリス・ラヴェル》
『フランスの作曲家。
バスク系フランス人であり、『スペイン狂詩曲』やバレエ音楽『ダフニスとクロエ』『ボレロ』の作曲、『展覧会の絵』のオーケストレーションで知られる。』
とされている。
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《モーリス・ラヴェルの曲『ボレロ』》
フィギュアスケートの大会にて:
以前、このような話をしていた。
とある人物と、テレビを観ながらネットで話をしていた時のことである。
その時は、フィギュアスケートの話をしていた。
『フィギュアスケート選手権大会を放送する時のテーマ曲』として、ラヴェルの曲『ボレロ』がテレビで起用されていたのだ。
だからと言って、何の関係があろうか?
ここが疑問なのである。
大会前からインターネットにて、既に『ボレロ』の話をしていたからだ。
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《この時期の大会にて》
「スコーピオンズのベルリン・フィルハーモニーの曲でも流してみてよ?」
試しに要望として書いて(言って)みたところ、CMに入る前の音楽として流れたのである。
「あれ!?」
「これは一体・・どういうことだろう?」
元々『ボレロ』を起用してきたものですから
「何かおかしいな。」
いまいち確証の持てない朧気な感覚と思いを持ちつつも、別の曲(スコーピオンズのベルリン・フィルハーモニーの曲)を再度リクエストとして確認してみた。
この曲を選択した理由は、偶々その時にその話をしていただけなのである。
全国放送にも関わらず、此方の冗談に付き合ってくれたものですから、予想外の展開にそれはもう驚きましたよ。
どうやらインターネットにて相方と雑談していた内容を、テレビ局(音響さんかな?)は観ていた模様だ。
一連の経緯としては、斯様な不思議な話となる。
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《どのような話をしていたか?》
「同じ旋律を繰り返し演奏するものの、徐々に抑揚の上がっていくラヴェルの曲『ボレロ』の特徴は当時、二番煎じが出来なかった程に難解にあって、珍しい楽曲だったのではないだろうか?」
更に話を進める。
「仮に『ボレロ』の様な理論で作られた曲が他に存在するなら、サラ・ブライトマンの『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』、これくらいしか思いつかないかな?」
そう、ここで述べている話は、音楽理論にあるオスティナート(リフ)のことである。
実際は、更に以前のバロック期から存在する音楽理論にあり、より完成度を高めた点として代表的な曲となったことは、然る事乍ら、その音楽性はラヴェルが生み出し確立させた、独創的な理論であると言っても差し支えない。
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《一方、他の或る番組ではその実験的な楽曲について語られていた》
上記にある
「或る音楽番組でラヴェルの曲『ボレロ』を特集していたから観てた。」
要所となる点は、以下となります。
「ラヴェルは、ドイツのインダストリアルな一面が大変お気に入りだったらしく、よく見学に行っていたとのこと。
そこで観た、工業的な無骨にありながらもヴィンテージ感を漂わせる質実剛健さは、後の『ボレロ』という楽曲に反映されたのだ。」
ラヴェルの音楽性には、リフ(オスティナート)確立に影響を与えたと言っても過言ではない、直感的・創造的な閃きを表現し得るに値する環境・景観がそこにあったのである。
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《ラヴェルの名言》
名言を見かけたから、ちょっと調べてみた。
この件(くだり)が良いですね。
『「わたしの目標は「技術的な完成度」です。
そこにはけして到達できないと確信しているため、無限に到達しようと試みることができます。」
当時、一部の批評家はラヴェルの音楽を冷たく、空虚で人工的と評した。
芸術とメカニズムへの愛を決して否定しなかったラヴェルは、作家エドガー・アラン・ポーを引用し「感性と知性の中間点」と言う有名なフレーズで此れに反駁した。
「それにしても、人々は私が「自然に人工的」であるということを理解できないのだろうか?」』
以上:
ラヴェルの名言でした。
私からは特に語れることもなく。
『【ただの独り言雑談】×【西方見聞録と国内編】の伝記』の《本編》と『【ただの独り言雑談】×【西方見聞録と国内編】の伝記《音楽篇》』の両方のスレを見ていけば、何かしらの共通点が偶にある為、感覚とはいえ、気付かずに理解していたのではないかとも思う。
尚、最も顕著に表れてる事例としましては、自動車のデザイン話なんかは具体的に示されているかもしれない。
感覚ではなくなってますけどね。
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(*^∀^*)ノこの話は《リフ(オスティナート)》>>44へと続きます♪
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目次:
【西方見聞録《音楽》】はこちら ( No.1 )>>1
【国内編《音楽》:@】はこちら ( No.2 )>>2
【国内編《音楽》:A】はこちら ( No.3 )>>3←←←《関連項目はこちら》
【国内編《音楽》:B】はこちら ( No.81 )>>81
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【色々と役に立つ情報:@】はこちら ( No.53 )>>53
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