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Re: 【ただの独り言雑談】×【西方見聞録と国内編】の伝記《音楽篇》 ( No.47 )
日時: 2023/09/27 10:00
名前: メテオール (ID: YOiERuKP)

【国内編《音楽》:A】
《日本人作曲家(クラシック)》篇
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Y‐U:世界に影響を与えた日本のゲーム音楽の歴史を探る【特別編】
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《特別編》
ここはそのまま引用しておこうかと思う。
独自に考察が出来ないと判断しつつも、大変興味深い話でありますので、そのまま引用しました。

尚、不必要であるとこちらで認識した箇所は削除しています。
『世界に影響を与えた日本のゲーム音楽の歴史を探る』サイトより

以下:
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'80年〜'90年代にかけて大きく発展した日本のゲーム音楽は、これまでに世界のミュージックシーンに多大な影響を与えてきた。
そんな日本独自の音楽カルチャーはどのように生まれ進化してきたのか?

ゲームに詳しくなくても、『ドラゴンクエスト』や『スーパーマリオブラザーズ』といった人気ゲームのBGMを一度は耳にしたことがあるはず。
"ゲーム音楽(ゲームミュージック)"とはその名のとおり、テレビゲームから流れる(テレビゲーム用に制作された)音楽のことだ。

ゲーム音楽の歴史は、ゲーム機(コンピュータ)の歴史といっても過言ではない。
ギターやピアノといった一般的な楽器で演奏するのとは異なり、ゲーム音楽はゲーム機を介してサウンドを奏でる電子音楽だ。
ゆえに、コンピュータの処理能力によって、再生できる音色や音数に制約が生まれる。

昨今の高性能のゲーム機ならば、オーケストラサウンドや生歌などを再生することも可能だが、これが30年以上も昔のファミリーコンピュータ(1983年/任天堂)となると、同時発音数が3音(ノイズを入れると最大4音)しかなく、当時はその限られた音数のなかで工夫を凝らしながら、ゲームのBGMはもとより、ミサイルの発射音やキャラクターの足音などといったSE(効果音)までも表現していた。
加えて、その音色はサウンドチップの性能上、いわゆる"ピコピコ音"と呼ばれるシンプルな電子音しか出せなかったのだ。

ゲーム音楽の誕生は、どこまでを"音楽"と解釈するかで異なってくるが、「ゲームのプレイ中に止まることなく、つねにBGMが再生された」という点では、アーケードゲームの『ラリーX』(1980年/ナムコ)が最初と言われている。
なお、日本中を熱狂させた『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)でもサウンドが流れていたものの、それはどちらかと言えば効果音に近く、まだ音楽と呼べるものではなかった。

ちなみに当時、海外のゲームは効果音に力を入れ臨場感を重視していたのに対し、日本のゲームはBGMを取り入れ、プレイヤーに作品の世界観やイメージを抱かせる手法に注力していた。

そんなゲーム音楽が、より身近になっていったのは、ファミリーコンピュータ(1983年/任天堂)の爆発的なブームによるものが大きい。
ゲームセンターで人気のゲームが家庭でも遊べるようになり、プレイヤーとゲーム音楽の距離が一気に縮まったのだ。

そして1984年、ゲーム音楽において革命的な出来事が起こる。YMOの細野晴臣氏プロデュースによって、世界初となるゲーム音楽アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年/アルファレコード)がリリースされたのだ。
本アルバムは初週で約5700枚のセールスを記録し、さらにオリコンチャートでは初登場で19位に入る快挙を達成している。

つまり、これまでゲームをプレイしているときにしか聞けなかったゲーム音楽が、"ひとつの音楽ジャンル"として昇華し、家庭のオーディオでも楽しめるようになったのだ。
さらに翌年(1985年)には、『ビデオ・ゲーム・ミュージック』をリリースしたアルファレコードが、ゲーム音楽専門のレーベル・G.M.O.レコードを立ち上げるなど、このころから徐々にゲーム音楽の市場が形成されていったのである。

そして'80年代後半に入ると、日本はバブル経済の真っ直中で株や不動産の価格が高騰。
ゲーム機のテクノロジーにおいても同様で、技術の進歩によってサウンドチップの性能は大幅に向上し、同時発音数は増加、また実際の楽器に近い音色も出せるようになり、作曲の自由度が広がっていった。

これまでよりもダイナミックで鮮やかなサウンドを奏でられるようになり、映画のようなスケール感を生み出すことで、ゲーム音楽を新たな次元へと引き上げていった。
なかでも、ゲーム音楽の作曲家である古代祐三氏が手掛けた、スーパーファミコン用ソフト『アクトレイザー』(1990年/エニックス)の曲は、当時としては非常に革新的であった。

これまでのゲーム機では表現することが難しかったリアルな金管・木管楽器の音色を再現。
そのオーケストラを彷彿とさせる高水準なサウンドは、ある意味ゲーム業界内においてひとつの事件でもあった。
のちに、かの有名な『ファイナルファンタジー』シリーズの作曲家・植松伸夫氏が「当時はその音に衝撃を受けた」と賛辞を送ったほど。

また古代氏は、"ゲームミュージックコンポーザー"という職業を世に知らしめた第一人者としても有名だ。
メガドライブ用ソフト『ベア・ナックル』(1991年/セガ)では、当時のデトロイトテクノやシカゴハウスといったクラブミュージックのテイストを盛り込み、そのゲーム音楽の枠に捕らわれないサウンドは世界中で高い評価を受けている。

世界的にも有名な音楽プロデューサー、フライング・ロータスやジャスト・ブレイズらが口を揃えて、「自分たちの音楽制作において『ベア・ナックル』のサウンドには多大な影響を受けた」と語るほどだ。
当時、クラブには行けない年齢の彼らが、ゲームミュージックを通してテクノやハウスミュージックに触れたのだ。

とはいえ、それでも当時はまだまだ今と比べるとゲーム機の性能は低く、ゲーム音楽の制作には制約があった。だからこそ、当時のゲーム音楽の作曲家たちは知恵を絞り工夫し、さまざまなテクニックを駆使しながら数々の楽曲を生み出していったのだ。

現在は、ゲーム機が進化したこともあり、ゲーム音楽の制作には、ほぼほぼ制約はないが、当時そんな制約のなかで感情や想いを表現していた作業は、まさに俳句や短歌に通じるものがある。
シンプルな音数・音色で作られているからこそ、聞き手の想像力がかき立てられる……そんな一面が、'80年〜'90年代ゲームミュージックの魅力のひとつなのかもしれない。

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目次:
【西方見聞録《音楽》】はこちら ( No.1 )>>1
【国内編《音楽》:@】はこちら ( No.2 )>>2
【国内編《音楽》:A】はこちら ( No.3 )>>3←←←《関連項目はこちら》
【国内編《音楽》:B】はこちら ( No.81 )>>81
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【色々と役に立つ情報:@】はこちら ( No.53 )>>53
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