>ウィリアム(>>86)
(人間界のような自由のある場所か此処か、何方が良いかなんて選択肢がある奴の為の問いで、自身には勿論、悪魔も含めて屋敷の住人には愚問だ。表情には平素の薄笑。しかし蛇の双眸は貴方でも音楽室でもないどこか遠く、目の前にない途方もないものをぼんやりと見つめる眼をしていて。若し問われたとしたら答える価値もないと思うと同時に、心の内は怪物達にも選択肢など無いのだと屋敷の禁忌たる悲しい秘密に繋がりかねない表現になってしまったのは不意か故意か。代償を得るのは貴方が音楽を満喫してからでも良い、むしろ今請求するのは野暮だと判断したがゆえの沈黙のままにピアノへ吸い寄せられてゆく後ろ姿を見送って。試しに奏でられた一音に呼応するように扉の前から動き、足音や物音等の楽器が奏でる音以外の全てを吸収するこの部屋のために誂えられた絨毯の上を滑るように移動し、ピアノチェアの斜め後ろ辺りに位置する椅子へと腰を下ろして優雅に足を組み。決して相容れない捕食者と被食者を分かつ違いは大いにあれど、芸術はその垣根を越えて響く数少ない飛び道具なのやもしれぬと思い至った所で丁度曲が終わりを迎え。演奏が止んで数秒の余韻を含ませた後にゆったりとしたテンポのスタンディングオベーションを贈り「 いや、別にええで。綺麗や。この曲も、ピアニストも 」教会音楽を弾かれた事に、彼を責める程でもなく其処迄心は狭くない。其れよりこの美麗な音色を他の誰にも聴かせたくないと反射的に抱いた感傷は何だったのだろうか。ミューズが乗り移ったかの如く素晴らしい演奏を披露した貴方に共鳴するように、或いは怪物も人間もなく同じ場所に立つように踵を返して良く磨かれたバイオリンを手に取り「 俺は君の為に弾いたるわ、 」ピアノ寄りの部屋中央、即ちステンドグラスとグランドピアノを直線で結ぶ位置に立ち「 貴重やで 」前置きと共に緩やかなウインクを見せた後慣れた手つきでバイオリンを構え。選んだのは人間界で著名なバイオリン独奏のために編曲された『G線上のアリア』で、細く白い指で特定の弦を抑えながら丁寧に弓を引くことで洗練とした音を奏で。曲の要所で身体に柔らかな捻りを挟み抑揚を表現しつつ、蛇の微笑は今この瞬間だけは音に酔い痴れるように冷たさを忘れ冴えるような熱を帯び。)