「……それは少し、困ってしまいますわ」
オキナグサへと目を向けながら、夕闇の匂いが近づく中、穏やかに息を整え、言葉を選ぶ。
「殿下がどのように仰ろうとも……この国において、
“ロメロ様”は紛れもなく尊きお立場の方。
わたくしのような者が名をそのまま呼ぶなど、他の方々に示しがつきませんわ」
言葉は丁寧に――けれど、一歩も引かぬ静かな意志を込めて。
そして、軽く微笑を添える。
「どうか、お許しくださいませ。
わたくしにとって、“様”を添えることは敬意の印なのです」
そっと視線を上げれば、その薄紫の瞳と目が合った。
奥に宿る光は、まるで薄闇を溶かすように柔らかく――けれど、一度惹かれたら決して離してはくれなさそうな、危うい誘惑を秘めていた。
「それに……デートともうされましても、そんな大それたものではございません。
ジーク様が、きっと気を遣ってくださっているのですわ」
あの方はきっと、ただ茶葉を渡して終わりにせず、優しさから誘ってくださった――そう信じている。
けれど、「ジーク様」と名を口にした瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
それが何の感情なのか、自分でもうまく言葉にできない。
しかし頬に浮かんだ笑みだけは、上辺ではなく、心の底から零れたものだった。
ロメロ様の提案“ドレスアップ”という言葉に、最初はやんわりと断ろうと思っていた。
けれど、その申し出を聞いた途端、胸の奥に小さな不安が再び芽生える。
「……その、やはり……見窄らしいでしょうか」
出かける前、鏡に映った自分の姿が脳裏に浮かぶ。
飾り気のない白いドレス、だだそれだけ。
もしかして、ロメロ様は遠回しに――“変えた方が良い”と仰ってくださっているのだろうか。
そんなはずはないと分かっていながらも、思わず肩を落とし、指先で布の端をぎゅっと掴む。
泳いでしまった視線をロメロ様に戻した。
その瞬間、風が柔らかく吹き抜け、ロメロ様の藍色の髪が静かに靡いた。
艶やかでありながら、どこか遊び心を含んだその揺れに――思わず、視線が奪われそうになる。