大人オリジナル小説
- 18「短い時間の中で、私はがむしゃらに走るんです」 ( No.257 )
- 日時: 2011/08/21 18:23
- 名前: 黒紅葉 ◆uB8b1./DVc
18 ぐらり
希美の部屋で,どうする事も出来ずに泣いていた美早希は,どうしても彼女を病院へは連れて行きたくなかった。
人の目に晒しては,きっと彼女は酷く傷つく!
そんなとき,玄関から声が聞こえた。
「あれー? 知らない靴があるぅー」
「あら本当。泥棒? にしては随分可愛らしい……誰かしら」
間延びした高い声と,上品な声。二つのそれは,どことなく希美のそれに似ていた。
美早希はごしごしと目元をぬぐい,下りて行く。言わなくちゃ,きっとあの人達は希美の母と姉。……彼女が切る理由を作った人達。
とんとんと,階段を下りる音に,声の主たちは階段の方を見つめる。
美早希は当然緊張した。大丈夫かしら,大丈夫。
ちゃんと伝えられる,希美が今どんな状態か。
「勝手に上がってしまってごめんなさい。――希美さんの友達の,葉桜 美早希です。希美さんのお母様とお姉様,で合ってます…か?」
「あら。初めまして,希美の母です」
「姉だよ,愚妹がお世話になってるね」
別段驚く様子もなかった。希美は誰かを家に呼ぶような子じゃないのに,何故だろう。…美早希は,悲しい答えを知る前に,考えを放棄した。
その前に,伝えなくちゃ。
「いいえ,そんな。こちらこそ。……あの,少し話したいことが。ずうずうしいことは承知の上です。……聞いて,もらえませんか?」
希美の母と姉は,少しだけ冷たい目になった。
美早希はその冷えた目に足がすくむのを感じたが,二人が「良いわ,聞きましょう」と言ったから,そのすくみに構うことはなかった。
*
案内されたのは,玄関から続く廊下を突きあたりまで行き,左に行ったところにある部屋。リビングとは違うらしいが,十分綺麗な部屋だった。
もてなしはいらない。美早希は彼女等にそう告げ,二人が美早希と向かい合う様に座ったのを確認した後,静かに語り出した。
「……希美さんは,…希美は,自らを傷付け,責め,どこか遠く……多分,もう二度とこの場所には帰ってこれないような場所へ行こうとしてます」
前置き。
その時点で,二人の目はどこか歓喜の色を浮かばせていた。美早希は背筋を伸ばし,二人の目を見て語っていたからそれにも気付いていたが,まだ,それに触れるときじゃない。続ける。
「以前,希美は『母に蔑まれ姉に罵られ,自分が生きてるのか分からなくなった』と私に言ってきたことがあります。……お二人は,希美のことが,お嫌いですか?」
二人は暫し顔を見合わせ,けらけらと笑った。
高い,どこか狂気をはらんだ無邪気な笑い声。
美早希は眉根を寄せる。何故? なぜこの状況で笑えるの?
「そうねぇ,そこまで嫌いではないわね。自分の娘だもの。生んで良かったとも思ってる」
まずは希美の母が喋り出す。その声は,確かに娘への愛を表していた。
優しい声音の,上品な音。
「けど」
それらを打ち消す,冷たい声。美早希の視線が,奪われる。
ぞくり,背中に悪寒が走った。
「……どこかに行ってしまえば,私は楽になれるのかしら,と思うわ」
切なさ。悲しさ。それから,憎さ。
色々な感情を含んだ言葉は,狂気すらをも感じさせた。
立て続けに,姉が語り出す。
「えっとねえー嫌い! だいっきらい! あたしの大切なものぜんぶ奪い取ってくんだ,あいつ。あたしの好きなものをあげてもまだ足りない,って言うみたいに。だから,死んでも良い,死んじゃえーって思うよ!」
ぐらり。脳が揺れるくらいの衝撃を,美早希は受けた。
ああ,この人は今,なんと言った?
そうか,希美は,一番近い人に愛してもらえなかったのか。
だから,あんな,あんな傷を背負うことになってしまったになったんだ。
美早希は内側からふつふつとわきあがってくれる怒りに身を任せ,立ち上がり,怒鳴った。
「ふざけない,でッ! 一番愛されたい人に愛してもらえないのか,どれだけ苦しいか,わからないのッ!?」
バチン。
頬をぶった音。
希美の姉は,美早希の左頬を,叩いた。
美早希はすぐに,彼女の方を向き怒鳴る。
「なにするん――ッ!」
「何も知らない癖に偉そうに言うんじゃないわよ! 一番愛してほしい人に愛してもらえない悲しみなんて嫌と言うほど知ってるわ! 知ってるからこそあんな奴嫌いなの! あいつが……」
あいつがあたしのすべてを奪ったんだから。
美早希はぶたれた左頬を押さえながら,目を見開く。
この人は,何を抱えてるんだ。
すっかり興奮状態に陥った希美の姉を,母はたしなめた。
「ごめんなさいね美早希ちゃん,おかしな事情を関係のない女の子にこんな形で知らせてしまって」
こんなときですら,嫌味な人だ。「いえ,こちらこそ首を突っ込んでしまってごめんなさい」無理に作った笑顔で。
「美早希に関しては,私が病院へ連れて行くわ。……ついて来て,くれるかしら」
「……えぇ,わかりました。行きます」
「わからないよ人の心なんて」
「わからないわあの子なんて」
「わかりたくないあいつのこと」
「わかってあげたいのに、わからないの」
18/終