episode 戸川将太
――人に翼があるとしたら、それはどういう意味でしょう?
俺、あんまりそういうの考えた事無い。けど、あるならやっぱり空に飛べるってものじゃないかな。
普通の考えなのかな、これ。
***
椎名が来た事で、みんな動揺していた。というか、あの人が来て喜んだのは先生ぐらいだ。椎名さんは笑ってもいなかったけど。
だけど、新たないじめの標的が増えたのは確かで。一時間目の、とても眠い数学が終わった後に、いじめは始まった。
俺は、ただ見ているだけだった。
「あ、ごめんね戸川ー」
桃沢葵の声は、とても楽しそうだった。こんな事して楽しむのは、人間じゃないと思う。
俺の机の脚に、誰かがぶつかった。びっくりして、ぶつかった相手を見る。
「……」
舌打ちをしながら、立ち上がるのは工藤さんだった。俺は立ち上がって机を寄せる。隣の席の矢野さんに申し訳ないけど。
「……」
若林が四之宮紘歌に、チョークの粉をかけられているのが見えた。さらにその隣で、椎名さんが日村真奈美にバケツで水をかけられていた。野村がそれをカメラで撮っているのも見える。
「――っ!」
千原南が、一瞬だけ顔を強張らせていた。そして千原南は、榎本の左腕にハサミで傷を付けていた。榎本を抑えているのは本田だ。
だけど、古川が居なかった。何でか分からない。
「やめてよっ! 痛いっ! 痛い!」
『やめて! お願いだからやめて!』
『うるせぇ!』
――嫌だ、やめてくれ。頼む、思い出すからやめてくれ!
「いっでっ……! てめぇ…!」
若林の声と表情が、あの人と重なる。やめてくれ、頼むから――
「っ……うっ……」
いじめと重なってしまう。頼むから、やめてくれ。頼むから、やめてくれ。これ以上、これ以上――
「うっ、わぁぁぁぁぁっ!」
「将太!?」
「将太、おい!」
そこで、俺の意識は途絶えた。最後に残った記憶は、近くに居た太陽と、潤也の声だった。