その後もいろいろな対応に追われ、観岸が疲れを感じて時計を見たときには、昼をすでに回っていた。学校での対応は徐々に落ち着きを取り戻しつつある。観岸も、ここ数十分は特に何をするわけでもなく、ただぼんやりと過ごしていた。
なにげなく、観岸は窓際に立ち、正門の方を眺めていた。やがて一台の警察車両が、正門が開かれると同時に校内へと入ってくる。車から降りてきたのは笹木校長、東、そして西木渡。西木渡は今朝に比べると少しは気力を取り戻したようで、顔は伏せているものの、しっかりと自分の足で歩いていた。
そこに、あの間嶋刑事が近寄っていく。何か、一言二言話した後、西木渡だけが間嶋の後を追うようについて行く。
「大丈夫だろうか……」
あの刑事は、どことなく良い印象を持てない……。観岸は始めて口を聞いたときからそう思っていた。傲慢そうな態度か、上の立場であると言うように振る舞う様子か、それよりも根底にある何か信用しきれない部分か……。
「お疲れですか、観岸先生」
観岸の横に、再び寺司がやってきた。先ほどとは打って変わって、その言葉にはどこと無い柔らかさがあった。
「疲れていない、と言えば嘘になりますね。寺司主任も、同じでしょう?」
「ふっ……そうですね」
しばし、ふたりはしばらく何も言わず、ただそれぞれの視線の先を眺めていた。特に交わす言葉もなく、こんなときに何を話すべきなのか。観岸だけでなく、寺司も、伝えるべきことのないこの場では、何気ない言葉のひとつすら出てはこない。
観岸は気まずさをどうにかしようと、口を開いた。
「あの――」
「なんですか?」
「主任は、この中では一番警察の人に話を聞いてますよね? その中で、木条君の……遺書とか」
「見つかっていないようです、それらしきものは」
「……なんで、死なんて選んだんでしょうか」
「私は彼ではありませんので」
ただ一言、表情を変えずに寺司はそう言った。そんなことを聞くものではないと、寺司は言いたいのだと観岸は理解する。むしろ、無責任なことを並べられるよりはよかった。
意味の無い質問をしないよう、自分自身で戒めながら、観岸は言葉を濁して続ける。
「木条君は……まあ、そんな風には見えなかったですから」
「なかなか、他人の様子を把握することなんか出来ませんよ。そう見ることしか出来ない……いや、そうであれと見ていたのかもしれませんね。誰だって彼が……彼だけじゃなく誰も、沈み、淀んだ表情をしていればいいとは思いませんから」
「……気づく努力をしなかった、と。……そう言いたいんですか?」
「気づくには少し、サインが足りなかった……その方が、私の言いたいことには近いでしょう。あなたにも、西木渡先生にも、責任はないと信じていますよ。……今は」
少し、観岸は寺司を睨んだ。同じく、寺司も表情は変えなかったが、観岸に目を向けた。
気を遣ってくれているようにも聞こえるが、実際は遠回しに観岸や西木渡を批難している。観岸は直感的にだが、そう思った。
しかし、それを否定することも出来ない。実際に生徒のすべてに気を配り続けることなど、まず不可能である。中学生という多感な時期は、自分の気持ちも隠していくことを覚える時だ。そこから心底にあるものを見抜くなど、どんなにベテランの教師であっても出来ることではない。……かといって、それを諦めとすることなど許されるわけがない。我々は常に、彼らを出来るかぎり守り、成長させる存在であり続けなければ。
観岸は否定する代わりに、寺司に質問を投げかけた。
「主任は……今回のこと、どう思っていらっしゃるんですか?」
「痛ましく、また嘆かわしいことですよ……。ひとりの生徒の苦しみが、彼だけでなく我々やこの学校の生徒にさえのし掛かる――」
「えっ?」
耳を疑う観岸。率直に捉えれば今の言葉は、木条の死によって、彼以外の人が苦しむことを寺司は心痛く思っていると……。
「彼の死を、そんな邪険に扱っていいんですか! 守りきれなかった我々は、むしろ甘んじてこの事態を受け止めるべきじゃないんですか!」
観岸の大きな声に、職員室が一気に静まりかえった。空気が変わった場に木条は焦る様子を見せなかったが、なだめるように観岸の声を抑えようとする。
「観岸先生、そんなに声を張り上げないでください。私は、彼の死だって辛く思っていますよ。……しかし実際問題、この先、その死があったがために変わってしまうものもあるでしょう。私たちはそれに対処を強いられるのは間違いありません。それは、残された生徒にも、この学校にも」
「彼の死は、いつになっても変わりはしません」
「……死は乗り越えなければならない。我々が彼に固着し続ければ、今度は生徒達の心身に影響を来します」
少し強めの言葉で寺司は発した。互いの視線はぶつかったまま、しばらくその先にある本音を探るように、微かに目は動き続ける。
……先に目をそらしたのは、寺司だった。
「いえ、そうは言っても今は、まだ彼の死を弔う時であり、そしてその原因を一刻も早く見つけ出さなければなりません」
「それには同感です。今はこんなことで、争っている場合じゃない……」
「虐め……警察の人が疑うように、それが原因でないことを望みますが」
原因は何より、まず誰もが気になることだった。観岸にとっては、木条がどのように自殺したのかというよりも、まずその原因を知ることの方が優先事項だ。
そのとき、職員室の扉が、少々荒めに開かれ、間嶋が中へと入ってきた。その後ろには、西木渡の姿もある。
「あっ、寺司生徒主任、少しよろしいですかー? 少しお話したいことがあるので」
「なんでしょう?」
「ここでは何ですから……ああ、よろしければ観岸先生も」
そう観岸に顔を向けたとき、わずかに間嶋の口元が歪むのが見えた。何を笑っている……? そんな愉快さは、この場のどこにも無いはずだ。このときばかりは観岸も、間嶋に対して厳しい表情を向けずにはいられなかった。
それを針の先ほども気にせず、間嶋は寺司を先導として、応接間へと向かっていった。観岸は少しだけ迷った後に、その後を追っていく。間嶋の後ろについて歩く西木渡の横へと並んだとき、ふと彼女の顔を垣間見ることが出来た。
彼女の顔には、今は表情は無かった。