大人オリジナル小説
- Re: 沈黙の後より -after episode- ( No.8 )
- 日時: 2012/11/10 19:59
- 名前: 世界 ◆hdwFu0Q9Eg
クラス校舎側へと出向いた観岸は、自らの担当である一組の横、二組の教室前を通り過ぎたとき、中に東と西木渡の姿を確認した。
「西木渡、大丈夫か……って、これ何回目だろうな」
教室へと足を踏み入れながらそう言った観岸の言葉に、西木渡はわずかに微笑んだ。
「もう大丈夫です……ご心配かけて御免なさい」
「無理はするな。気持ちは皆が察しているから」
その観岸の言葉に、東がニヤニヤとした表情を浮かべながら口を挟んだ。
「俺も結構きてるんだぜ? 心配してくれよ」
「お前はそんなに打たれ弱くないだろう……」
「こう見えても、辛いものは辛いのさ。ただ今はそういうときじゃないって分かっている。どんなに辛くても動かないといけないと」
「じゃあ、そのときになったら言ってくれ」
ああ、と東は親指を立てて見せた。ふたりの間を保つには、それだけで充分だった。
観岸と東は、同じくして数学の教師である。この学校では数学の授業は、より生徒への定着度を上げるため、クラスを半分にした少人数制で授業を行っている。その際の教師がこのふたりだった。ふたりは同じ時期、同じ境遇でこの学校へと就任して以降、ずっとふたりでやってきた。年齢こそ東の方が上であるが、それを気にすることもなく良き友あるいはライバルとしていた。
大人であるからして、そういった関係を築くのは当然であると言えるが、そうでなくとも、たとえばふたりが中学生で出会っていたとしても同じような関係になっただろう。それほどに馬が合っていた。
表情を真剣なものに戻し、東は西木渡へと向き直った。
「さて……そろそろ質問いいか? 俺たちもいろいろと知っておきたい。なに、言いたくないことは言わないでいい。何を言ったとしても、俺たちはここでお前から聞いたことを口外しない。約束する」
観岸もそれにうなずく。しばらく、西木渡は不安そうな表情を浮かべていたが、ゆっくりと首を縦に振った。観岸は東と顔を見合わせ、まずは東が質問することになった。
――先程、間嶋刑事が言っていたように西木渡は虐めの様子を感じていたのか。この質問に、西木渡は何とも言えないと返してきた。彼女が言うには、間嶋の質問には認めざるを得ないものが含まれていたそうだ。「不安に思うこと、奇妙に思ったことは必ずある……それを思い返してください」……そう言われれば誰でも、もしかしたらと思うだろう。つまり、西木渡の質問は誘導されたようなものだった。ただ一概にもそう言い切れないのは、西木渡の中にそういった不安が少しでもあった点があるためだ。もしかしたら、というのは、あったとも無かったとも言い切ることが出来ない。
――木条の最近の様子はどうだったのか。これは観岸の質問であり、西木渡だけでなく東にも向けられたものである。数学の授業ではクラスを分割するのだが、観岸の担当する方には、木条はいなかった。故に観岸にはほとんどと言っていいほど関わりが無かった。
西木渡は、明らかに不自然な点もなく、クラスとしての問題は見受けられなかったと回答した。
これに対して東は、わずかにだが気になった点があるという。数学の授業では問題を解かせることが多いのだが、基本、クラス内で誰かと相談しながらやる生徒が大半だという。だが木条は黙々とひとりで解いていた。ひとりでも解けると考えれば不自然ではないが……故に、わずかに気になった点であり、根拠のあるものではない。
――木条の成績と進路について。これは東の質問である。まだ夏休み前であることからも、進路に関してはあまり深くは出ていないのだが、西木渡の話によれば、今年最初の二者面談の際、彼は少しでもレベルの高い高校に行くことを志望していたという。いずれはどの生徒も望むことだ、不思議ではない。しかし強いて言うなら、彼は具体的な高校名を並べていた。それは今の彼の成績では届かないような、難易度の高い場所だった。
それが自分で望んだものなのか、それとも本人の意思ではないのか……。観岸も数年も教師をしていれば、いろいろな生徒に出会う。本当に自分から高いレベルを望む生徒、親に言われてそこに行くことをただ希望する生徒、高校を選ばず、ただ行くことを望む生徒。もし本人が望んだものではないとしたら、それは生徒に大きな負担となることもある。過度の期待とプレッシャーは本人を潰しかねない。故に最後は、我々教師が現実を見据えて、希望の変更を促す。
東は顎に手を当てながら呟く。
「家庭でのトラブルもありそうか……」
「私が今学期の家庭訪問をしたときは、特に他の人と変わった様子はありませんでした。ただ……」
「何か気になるのか」
「木条君と同じように、この高校に行かせてほしいというお母様の言葉がありました。けれど一方で、木条君の今の成績を、どうも把握していない、もしくは興味を持っていないような感じだったんです。成績はどうにせよ、どうにかして行かせてほしい……そんな風に言っていました」
「よくあるパターンだな。子どもを信じていると言いながら、実際は知っているつもりになって何も見ていない。まあ決めつけるのは良くないが……」
人間関係、成績、受験へのプレッシャー。一番辛い時期だっただろう。もしすべてが彼にのし掛かっていたとしたら、我々はきっとそれを和らげてあげるべき存在だ。もし自分が彼と関わる何かキッカケがあったのなら……観岸はそう思わずにはいられなかった。
教室の扉が開かれる音がして、三人はそちらへと顔を向けた。
「おやおや、先生方がこんなところで集まってどうしましたかなぁ?」
間嶋……こんなところに何を。観岸はかろうじて、嫌な視線を向けるのを抑えた。大人げなさ過ぎる、これでは。
ひとり教室へとやってきた間嶋は、嫌な雰囲気を持つ笑みを浮かべて見せた。東は少し面倒くさそうに間嶋に問いかける。
「間嶋さんこそ、こんなところにどうしたんですか?」
「ああ、新米のやつが調査のひとつを忘れていましてねぇ、その後始末ですよぉ。ここは木条君のいた二組ですな? 西木渡先生、“彼”の席はどれです?」
「えっ? あそこですが……」
教室の窓際、前から三列目を西木渡が指差すと、間嶋はずんずんと進んで、木条の席へと近づいていった。そして、その机に無造作に手を突っ込み、中のものを次々と机の上へと取り出していく。
その荒さに、思わず観岸は叫んだ。
「おい、もっと丁寧に扱え!」
「何を言ってるのです? これは捜査ですので、口を挟まないでいただきたいですねぇ」
そう言う間に、間嶋はすべてのものを机の中から取りだし終えていた。そう物の量はない。文房具が入っているであろう小さな袋や、ノート数冊、お菓子のゴミが少々。
「うーん、木条君はお菓子を摘むような子ですかねえ」
「いえ、彼はそんな子では……」
「ですよねえ、西木渡先生。つまりこれはアレですかね、虐めの証拠と」
「それは軽率な発言だ」と観岸が言うも、間嶋は返答を返さなかった。さらに前後の机も同じように手を突っ込んでは、物を取り出していく。
東は怪訝な顔をした。
「それで、刑事さんは何をしているんですかね」
「何か残されていないかと思いましてね。遺書とか、木条君の書き置きとか」
「なるほど……」
東はそれ以上、何も突っ込まなかった。下手に口を挟むのはやめたほうがいいと判断したのだろう。
前後左右、机の中を捜索した間嶋は、ため息をつきながら肩を落とした。
「やれやれ、何も無しかぁ……」
「それで、あれから何か分かったんですか」
少し、観岸は嫌みっぽくそう言った。それに少し反応を見せるように、間嶋はゆっくりと観岸の方を向く。
「観岸先生、もうこれは単なる自殺なんかじゃないでしょうねぇ。やはりいろいろな職員の方に聞いたところ、木条君への虐めらしき行為は、ありそうですよ。虐めを軽視してはダメですからね。その内容に、違法行為があればもう犯罪ですから。……私はね、未成年の行為だとしても、決して許してはいけないと思っているのですよ。ひとりひとりの子どもを守るには、いけない子には対応しなければ」
それは観岸も同じではあったが……間嶋の言う言葉には、別の意味が含まれているような気がした。悪いことはきちんと指導しなければならないが、間嶋はつまり、成人と同じように扱うべきと主張しているのだろうか。
木条の机から取り出したノートの一冊を手にとり、毎ページをゆっくり開きながら間嶋は言葉を続けた。
「今後も先生方に協力をしてもらって、生徒からも情報を集めますが……もし、とてつもない非道な行動が出てきたら、どうします?」
「どうする、と? いや、生徒同士のトラブルであったとしたら、やはり両者を気に掛けるのが教師の役割であり、平等な視線で見るべき――」
そう言うと同時に、間嶋は手に持ってぱらぱらとめくっていたノートの一冊を、激しく机へとたたきつけていた。あっけにとられる三人に対して、間嶋はノートを指差すように向けて見せた。
「観岸先生……何度も言いますが、生徒が実際に……死んでいるんですよぉ?」
「それはそうだが……」
木条は死んだ。それは事実で、重く受け止めるべき内容だ。だが観岸は、教師だ。教師は生徒を平等に見なければならないと思っている。仮に木条を虐めていた子がいたとしても、彼らにもきちんと正面から向き合わなければ……。
人間としてはどうなのだ? 自殺の原因に誰かが関わっているとしたら、その彼らを人間としてどう思う? 当然、観岸は蔑み批難するだろう。だがそれは生徒に行うべきことか。それは大人としての対応ではない。
聖職者としての立場は非常に難しい。これから観岸も、どういう対応をしていくか、考えなければならないのだろう……。
観岸は食ってかかるように返答する。
「私はとにかく、正確な情報を生徒から集め、その後の判断はあなた方や司法に任せます」
「判断から逃げましたねぇ。まあ、それもあなたの立場から言えば正しいかとも思いますが……おっと、そろそろ時間だ。それではまた――」
間嶋は打って変わって笑顔になり、木条の机の中にあったものすべてを手に持ち、教室の出口へと歩んでいった。扉を出る直前、間嶋は思いついたように振り返る。
「そうだ、ひとつ聞きたいことがありました。……こういうときの責任って、一体誰が取るのでしょうかねぇ? 観岸先生はどう思います?」
「わかりませんよ、そんなこと」
「そうでしょうね、私も分かりません。校長先生が辞職すればそれでいいのか、担任の先生が一生を償うのか、未成年の子どもに罪の重さを教えるのか……。難しいところですねぇ」
責任……。誰に責任があるのか。教師として生徒を守りきれなかった教師か。責任を取る最も大きな役職である校長か。あるいは、幼心もまだ持ち合わせる生徒達なのか……。
間嶋は手をひらひらとさせ、扉を出て行った。しばらく足音が消えるまで、耳を澄ませるように動かない観岸達。その中で最初に口を開いたのは西木渡だった。
「あの人、少しおかしい気がします」
「……同感だ。意地でも原因を突き止めてやるというような、そんな異常なほどの意思が見える。しかも、まるで俺たちを敵視しているようだ」
「いや、違う……」
「何が違うんだ、観岸?」
――きっと間嶋は、怒っている。こんな事態を引き起こし、止められなかった俺たちに怒っているのだと。厳しい態度を見せる一方で、怒りにも似た感情が垣間見えるのは、きっとそのせいだろう。観岸はそう感じていた
これからいろいろな人達の怒りが、きっと観岸達に降りかかってくる。投げ出したい、逃げ出したいという気持ちは、常に付きまとっている。だが耐えなければならない。すべてを知るまでは。