大人オリジナル小説

陰謀入院−ノンフィクションその@
日時: 2011/11/06 19:35
名前: トム
参照: http://脳にチップを埋められた

松沢病院に入院させされた−
私は何故か痛みを全く感じなかったので、パニックを起こしていた。
私は私の周りのインターネットの情報操作でも、パニックしていた。
露骨に北朝鮮人が接してきたり、ひそかなブームを巻き起こしていたBundangbear氏のサイトがハッキングされたり、オーストラリアの情報規制が見えたのも理由かもしれない。
私は警察との話をした後、病院に私服の警察官と一緒に行った。
まず、私が訴えた通りに私は頭のCTスキャン等の画像は一切、撮られなかった。
それどころが、話をする際に、いかなる話が始まる前に、いきなり押さえつけられ、私が話そうとしても、無視され注射針で気絶されられた。
気がついたら私は手足を一切押さえつけられ、固いベッドに痛みが刺すほど強く縛り付けられた。
私は小泉元首相が入院させられたという噂のあるD40錬に移し変えられた。
私は何故か無気力で、初めは何もする気が起きなかった。
気力が僅かに、蘇ったら、初めは私は、「すみません」と幾度か叫び、人手を呼んだが、初めは声は返ってこなかった。
尿道にチューブを入れられ、針から薬と医者が後に言うには「スポーツドリンクと同じもの」を入れられている状態であった。
食事はしばらく、何もなかったが、まだ、上手く眠れた。
しばらくして、私は若い男性医者に車椅子に移し変えられ、甘い汁を飲む様、そそのかされた。(幾日目かは覚えていない。)
汁はカロリーメイトみたいなキャラメル牛乳に近い味がした。
汁は私が食事を取る際の準備らしい。(それだけ長く、私を食事から遠ざけたのだろうか。)
 私は縛り付けられない個室へ移され、食事と薬を与えられるようになった。
食事と薬は上手く取れなかった。
薬は錠が大きすぎて、なかなか飲み込めなかった。その上、飲む錠剤の数と種類は栄養剤などが無いにも拘らず、沢山あった。
それどころか、食事もご飯が飲み込めず、味噌汁だけを時間的に飲み干すのが精一杯であった事実もある。
もしかしたら、それを長く続けていたら、栄養失調で死んでいたかもしれない。
面会が無かった事も私には回りの情報に遮断された気になっていた。
窮屈な3メートル四方ばかりの個室では、格子越しに医師が面会できる場所がドアとの向かい側にあって、部屋ごとにそれがつながっていた。
私はその部屋ではくるくる歩き回るか、無気力ゆえに寝そべる事くらいしか出来なかった。
トイレは水が流れず、トイレットペーパーも不足していた、トイレのスイッチは壊れていたのか、止められていたのか動かなかった。
やがて、昼の短い時間帯に3時間ほど食堂内で開放されるようになったが、るろうに剣心という漫画を読む事と体重や身長を測る事が出来る程度の自由であった。
やがて、ガラス越しのテレビ室のある側に室を用意してもらえるという約束だったが、言われる程迅速にはしてもらえなかった。
テレビとD40内での広めの部屋に移された後は、研修員とやらと見学者の長打の列が2回流れた。
ある、入院患者たちは見学者たちを怪しんでいた。
私は何かの注射をいつもされている老人と、叫ぶのを止めないおじさんと同じ4人部屋に移された。
面会もやっと認められ、シャーペンと本を親から手渡しされ、私はいくらかそこで勉強しようとした。(しかし、太った、何でも口にほうばる患者が私の鍵を盗み、私のお菓子を盗んで、後に私は鍵の弁償をさせられた。)
やがて私は首がひりひりすると看護師に相談すると、副作用止めという項目の精神安定剤を新たに飲ませられた。
私は一ヶ月ほど全く落ち着かず、全く眠れなかったので、個室に戻るよう請願し、個室へ戻ったが、私は500mlを二回という飲料制限を与えられ、常にのどが渇いていた。
又、個室に戻ったら、テレビ室には戻してもらえない事があった。
テレビ室に戻れても、見られるものはチャンネルが限られていた上、大勢がいる中、その旧式テレビの選局は5部屋の満配な4人部屋が存在した以上、自由ではなかった。
4人部屋に移されてからは、最大量の薬から薬をさらに増やされ、それが副作用止めだといわれた。
物事を書き留めるにも何があった。
やがて院内外出を認められて、ドクターグリップというシャープペンシルとメモ帳を持ち込んでみても、何故かシャーペンが4人部屋の自分の物置から消えたりした。
その上、精神障害をもった人たちからいつも一方的に話しかけられた。
自分がx線写真を撮ったときには、なぜか同時に肺癌写真の写ったx線写真がカウンターのそばで張られたので、自分のx線写真家と思った事もあった。
シャープペンシルを無くしたと駆け寄っても、シャープペンシルか禁止されていると冷遇された上、ロッカーの鍵が不可解な紛失をした際も、極めて慎重な扱いを行っていたにも拘らず、弁償させられた。
良く4人部屋の中では泊まっている人が変わった。
私は食べ物は何も持ち込めなかったが、ある日引っ越してきた、4人部屋で私の向かい側の人はえびせんべいを持ち込んでいた。
彼が言うには彼はカロリーメイトが大嫌いだという。
私はその頃、食べる量が薬によって増えて、60キロから84キロまで体重が増加した。
退院後も、薬は最大量、しかも3種類取っていた。
ジプレキサと、ルーラン、リスパダールだ。

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