大人オリジナル小説
- 夏 軽井沢
- 日時: 2017/07/11 21:14
- 名前: おじさん
〜0〜
夏にしては柔らかい光が木々の隙間を通して窓から
ゆらゆらと差し込んでいる。
こころがやさしくまどろんでくる。
ここは軽井沢にあるとある教会。
パイプオルガンの奏者がバッハの曲を荘厳に奏で
また声楽家が心地よい歌声をはこんでくれる。
こんなひとときが訪れてくる日がこようとは。
日頃から生活に追われ仕事に追われ汲々としていた。
日常になんの疑問も抱かず いや疑問は感じていた。
ただそれが何なのかわからない、この暮らしが
普通なのだと自分の心に言い聞かせていたのだ。
そんな暮らしが霞がかかったように忘れ去られていく。
〜1〜
「はい○○商事です。毎度ありがとうございます。」
「ありがとうございます。ただちにお伺いいたします。」
『電話はわが社の窓口です。』 といわんばかりの日々のなかで
仕事をこなし 夜、決められたように自宅に帰り朝になれば職場に行く。
それがあたりまえ。 普通のことじゃないか。 日々働いて糧を得る。
たしかにそうなのかもしれない。
頭では理解しているのだ。
でも50歳を過ぎ60歳ちかくなると定年まで頑張れば
その後今までとは違ういわゆる非日常があじわえる。
だからあと少し あと2年 1年 半年 3ケ月 3日
そしてその日が訪れる。
「おとうさん いままでお疲れ様 ありがとう」
次の日になれば非日常は訪れるのか?
否。
「おじいちゃん 遊びに来たよ〜」
そう 保育園が終わってから奴らが来る。
まとわりつかれ目を白黒させながら孫と遊ぶ。
「孫はかわいいだろ。」
「遊びに来てくれているうちがはなだろ。」
それはそうかもしれない。 確かに孫はかわいい。
でも違うのだ。 なにかが違うのだ。
何がどう違うのかわからない。
こころの奥底でぐるぐると自問自答している私。
そんな中でふと気づいてしまった。
定年まであと少しとカウントダウンして過ごしてきたが
よくよく考えれば人生もあと少ししか残っていない。
人生までカウントダウンしていたということに気づく。
残りの人生をどう過ごす。 どう生きる。
〜2〜
何年も前になるがたまたま海外に行く機会に恵まれ
数週間ヨーロッパで過ごしたことがある。
ここでの時間は緩やかにとてもやさしく過ぎてゆく。
1日は24時間であることは日本と同じで変わりはない。
でも家族とまた友人と笑いあって過ごせる時間がここにはたくさんある。
それに気づいてしまったとき日本での日常が嫌になった。
ここで暮らしたい。ずっとここで暮らしたい。
だからといってこの地で生活ができるのか?
新しい人生の土台を築けるのか?
否!
私はただの旅行者であって彼らの本来の暮らしを知らない。
そうなのだ。彼らにも彼らの日常があり
そんななかで非日常を求めているのかもしれない。
目に映るものだけを見ていてはいけないのだ。
旅行者である私の見えないところに彼らの本当の暮らしが
あるのだろうと。
そうして私の夢のような時間は空のむこうに置いてきた。
また日常が始まる。
〜3〜
定年も過ぎ暫くたった頃古い友人から手紙が届いた。
簡単な時候の挨拶とご無沙汰を詫びる内容だった。
彼は大手企業に入社してバリバリと仕事をしていたが
ある日突然会社を辞め教職の資格をとり高校の教諭に
なった。
周囲からはどうして大手企業を辞め教員になったのかと
いろいろといわれていたようである。
私も不思議に思い彼に聞いたことがあるがその時は
何も答えてくれなかった。
今回の手紙では彼はまだ教員をしているらしく毎日が
楽しいと伝えていた。
私は懐かしく思い彼に返事を書いた。
定年を迎え呑気に日々を送っていることや身近にいる
共通の友人のこと。そしてずっと疑問だった彼の教員への
転身の理由を教えてほしかったこと。
投函してからしばらくたった頃思いがけず彼から電話がかかってきた。
夏休みに軽井沢の別荘に避暑に行くので君も来ないかとの誘いだった。
私は暇を持て余していたし懐かしさもあいまって二つ返事で
行くことを伝えた。
東京から北陸新幹線に乗り1時間あまりで軽井沢に到着した。
東京駅でははじめ長野新幹線のホームがないので探し歩いた。
探している途中でそういえば北陸地方につながったので
北陸新幹線と名称変更したことを思いだして一人で笑ってしまった。
新幹線を下りホームに立つと反対のホームにしなの鉄道の電車が止まっていた。
ずっと昔に信越本線だったころは手前の横川の駅で『峠の釜めし』を買って
車内で食べた記憶が脳裏をかすめた。今では路線が繋がってなくもうそんなことが
できなくなってしまった。時代の流れとは言え寂寥感を感じてしまった。
〜4〜
駅を出ると彼が車で迎えに来てくれていた。私は定年を迎え少しくたびれていたが
彼は現役で溌溂としていた。再会の挨拶もそこそこに車に乗り込んだ。
とりあえず食事をしようと信州蕎麦の店に入った。
さすが蕎麦の本場で地域柄少し高価だったが味は良くこれが本当の蕎麦だと
なぜか彼が得意げに自慢してたのには少々面食らってしまった。
彼の別荘は軽井沢の中心から少しはずれた追分というところにあった。
ここは中山道と北國街道の分岐点にあたり昔は交通の要衝だったところだ。
今では毎年7月に馬子唄道中というお祭りがあるらしい。
教員である彼が別荘を手に入れることができたのは
たまたま知り合いから安く譲ってもらったらしい。
彼もあと何年かで定年を迎えることになるのだが終の住処として
少し無理して譲ってもらったらしい。
今は仕事の都合で居住できないが休みがあればこまめに来るようにしていると
いいながらガレージに車を止めた。
ここは昔から住んでいる地元の人々と新たに別荘を購入した人々が
お互いに交流しながら和気あいあいと暮らしているらしく
別荘の玄関先に朝採れた野菜が置かれていた。
誰が届けてくれたかわかっているらしくすぐにお礼の電話をして
台所へと置きに行った。
〜5〜
しばらく積もる話で盛り上がったがいつまでも話も続かず思い切って
かねてよりの疑問を彼にぶつけてみた。
少しの間沈黙があり彼がゆっくりと話し出した。
当時勤めていた大手企業で仕事をしていくうち会社の方針に
疑問を持ちまた商談の裏での密約等表に出せないいろいろなやり取りに
嫌気がさした。それだったら正面から表裏なく相手を思いやり
お互いに向上できる職業は何かと考えた結果が教員だったと。
当時は他人にも身内にもいろいろ言われたが青臭いことを言っているのが
わかっていたので恥ずかしくって言えなかった。心配をかけて悪かったな。
と照れながら打ち明けた。
私も当時そこそこの企業に勤務していたが営業職とかではなく総務関係の業務
だったので定時で出退勤を繰り返していただけで裏の世界など全く関係がなかった。
上層部ではいろいろ知っていたかもしれないがペーペーの私には知る由もなかった。
それが良かったのか悪かったのかはもう退職したのでどうでも良いことだった。
そのあとは久しぶりに学生だった頃のように夜遅くまで飲んで気が付けばもう翌日の
お昼だった。
〜6〜
暫くそんな飲み方をしなかったせいで2人とも久しぶりの二日酔いで頭がガンガンし
夕方までなにもできなかった。
日が落ちるころ近所の人たちが簡単な料理と様々な酒をもって集まってきた。
彼が友人が来ることを近所の人たちに伝えていたらしく老若男女ぞろぞろと
彼の家に押し寄せる。また酒盛りの始まりだ。
翌朝彼が今日近くの教会でミサがありそのなかでパイプオルガンの演奏がある。
信者でなくても入れるから行ってみないかと誘われた。
私は先祖代々仏教徒なのだが物珍しさもあり行ってみることにした。
多分仏罰は下らないだろう。
教会は賑わっていた。昨日一緒に酒を飲んだ近所の人たちもチラホラ見かけた。
彼らも仏教の信者らしいがそんなことはどうでも良いらしい。
ミサが始まり牧師のお話が始まった。教会内は冷房が利いていてあちこちで
舟をこぐ人がいた。
パイプオルガンの演奏が始まるとその大音量に舟をこいでいた人たちも目覚め
その荘厳な音に聞き入っている。また今回はソプラノの声楽家も出演していて
その素晴らしい声に感動して鳥肌がたっていた。
〜7〜
私はしばらく味わったことのない感情に戸惑いを感じていた。ふと顔をあげると
教会の窓から差し込んでくる木漏れ日のなかに身を置き渦巻くパイプオルガンの
音にのみこまれていった。今まで経験したことのないような落ち着いた感情があふれ出て
ああ、これが私が昔から欲しいと思っていた時間の流れだと、心の安らぎだったのだと
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