大人オリジナル小説
- 月下の曼珠沙華
- 日時: 2017/08/02 22:04
- 名前: 錐床の墓
時は一九七○年代。
二度目の大戦が終戦を迎え、早二十年が経った。
欧米諸国と肩を並べる程の大国となった倭国。
2度目の大戦で勝利した一方。
戦争から帰還した兵士達は、見えない苦しみに藻掻いていた……。
一九七五年、七月。
蝉が鳴き続ける夏の初め。
母親と共に、父親の見舞いに来ていた池崎亜美。
好奇心から病院内を冒険する内に、気付けば母親とはぐれていた。
涙目になる亜美。そこへ、声をかけた人物が……。
※残酷描写アリ。苦手な方はお戻りください。
作中、症状についての説明的部分がありますが、素人の浅知恵ですので正しいとは限りません。施設、地域等の名称は空想上のものです。
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- 悪夢 ( No.1 )
- 日時: 2017/07/30 01:32
- 名前: 錐床の墓
人は悪夢を見る。
精神的苦痛、潜在的不安から夢は形を成す。
しかし悪夢を見る条件に、もう一つある。
――過去に負った、何らかの精神的ダメージ。或いはトラウマ。
表面上は何ら問題ない様に思えても、睡眠中は違う。
本人が自覚せずとも、長年受けていたソレがトラウマになっていることもある。
無意識に退けるようになる。
トラウマやダメージから来る 悪夢を見て、魘されていても、朝には何一つ覚えていない。
しかし確実に、精神的ショックは受けている。
肉体的にも消耗している。
記憶を保存する脳は、何も記憶を完全に忘れている訳ではない。
あくまで、記憶の図書館のような場所に保存しているだけである。よって、何らかの記憶の刺激を受ければ、思い出せる事もある。
限度を越すと、その記憶を無かったことにする働きがある。肉体も同じだ。
許有範囲を超えた痛みが奔ると、自動的に痛覚を遮断する。
或いは、記憶を美化――捏造する事も良くある事だ。
トラウマ等も、そういった働きによって曖昧にされてしまう。
思い込みや印象が強いものほど長く残り、その他はぼんやりとしか記憶できない。
一九七五年、七月。
大戦から二十年が経ったこの頃。
千土佐山の麓にある市立病院。豊かな自然が広がり、設備も整っているという場所だ。
ここでは一般患者と、大戦の元兵士達が入院していた。
兵士と言っても大半は、戦場で負傷し、そのまま終戦を迎えた人間が多かった。
しかし中には"砲弾ショック"――後に"心的外傷後ストレス障害(PTSD)"――と呼ばれる、精神障害を発症した兵士もいた。
入院する元兵士の一人――中原慎也も、医者に精神的トラウマ持ちと言われた人間だ。
自覚していなかっただけに、その時のショックは大きかった。
戦場での定期的診断では、常に"異常なし"と太鼓判を押されていたからだ。
しかし、自身でも気付かぬうちに、戦場での"狂気"に――侵されていたかもしれない。
それから、悪夢を見るようになった。
赤黒い、内蔵を想わせる世界。 無数の頭蓋骨で築かれた地面。
気付けば何時も、そこに立っている。
無音。
視界に広がるのは、赤黒い空。
足元で乾いた音がした。ハッとして下を見る。
小山を築く髑髏。その一つの。
空虚な眼窩に、紅い光が灯っていた。
陽炎のような、鬼火。
彼岸での案内役であり――死を呼ぶ焔。
ゾッとして飛び退いた刹那、
髑髏が嗤った。
白い上頭部に亀裂が奔り、砕けた。
その間を縫うかの如く、白骨化した腕が突き出た。無数の腕。漂う鬼火。
隙間の闇から、カタカタと骨を震わせる髑髏が見えた。
空虚な眼窩を向けて。狂った笑みを浮かべ。
髑髏達がにやりと嗤った。
「――逃げれると思うのか?」
ケタケタと嗤いながら、骨腕が脚を掴んだ。冷たい感触。
明確な"死"の気配を感じ、ゾッとする。
髑髏達が再び嗤う。歓びの嘲笑。無様な生者を嘲笑う。
そして、悟った。
今まで忘れていた――否、忘れようとしていた。
――"国家非常事態宣言"。
ラジオで流れたその言葉。
初夏の初め頃。
世界を巻き込んだ、二度目の世界戦争が勃発した。
一度目の時のような――学生が戦場へと赴く事は無かった。
当時、二十を過ぎたばかりの慎也自身も徴兵対象となり、戦場へと送られた――。
そこは地獄だった。
戦闘機や爆撃機が空を飛び交い、閃光が走る。
四肢が千切れる。血が飛び散る。硝煙の臭い。轟く轟音。
鼻を付く悪臭。無数の死体。破壊された兵器。
半数以上の仲間を失いながらも、我が国は敵軍に勝利した。
莫大な犠牲と引き換えに。
戦場に転がる大量の死体。
吐き気を催す光景に眉を顰めるが、直ぐに切り替える。
凄惨な現場を見て来た所為か、余り嫌悪感は感じなかった。
あんな死に方を望まないなら、一刻も早く離れろ――。
冷静な理性が、離れる事を提案する。
疲労を感じ、目頭を押さえ溜息を吐いた。
立ち上がり、地獄を再び歩き始める。
戦場へと降り立って二年。
硝煙の臭いと鉄臭さが混じった臭い。
日中関係なく漂い続ける臭いだ。
地獄から出れるのは、一体何時だろうか。
生きているのか、死んでいるのか。
死体だらけの戦場で、希望など到底見出だせなかった。
故郷の戦友たちは、既に土へと還ってしまった。
家族にも情は無い。
繋ぎ止めるものが、何も無かった。
ただあるのは、"死にたくない"という絶対的生存本能。
死にたくない。死ねない。死ぬのは御免だ。
大切な人。家族。友人。郷里。
戦友達には守りたい何かがあった。
――生き残る。
そう言って死んでしまった同胞も多くいる中で、生き残ったのは自分一人だ。
何よりも替え難い、大切なものがあった戦友達が死に。
自分にすら関心の無い、俺が生き残るとは――。
とんだ皮肉だった。
この地で最初に親しくなった衛生兵は、
流れ弾で傷を負いながらも、治療を熟した。兵士は助かった。 だが、その時の裂傷が原因で、衛生兵は死んだ。
遺体は焼かれ、小さな骨壷に収められた。
故郷には老いた両親がいて、暮らしを楽にさせたかったと言っていた。
つい昨日まで生き残っていた古参兵の戦友は、
流れ手榴弾に巻き込まれた。
爆発した直後の場所に、戦友の姿は無かった。
骨すら残さず、彼は消えた。
開戦直前に、婚礼式を挙げたばかりだと言っていた。
戦友は、遺品は用意していたらしかった。
遺髪と、何度も眺めただろう折り目のある写真。
それだけだった。
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