まさかの中編です。
連れて行かれた居酒屋は、なんだかやかましいイメージのあった彼には似合わないような、けれど今の彼にはよく似合うような、そんな落ち着いた雰囲気の店だった。
なんとなく、俺が好きな雰囲気の店なのは、狙ってのことなのだろうか。
いや、考え過ぎか。
個室もあるらしい。「ここは菜の花のからしあえもあるぞ」なんて、よくもまぁ人の好みを覚えているものだ。
俺を先に座らせると、彼もまた遅れて正面に座る。上着を脱ぐと、シャツの隙間から覗く引き締まった筋肉に、喉を鳴らした。
「ほんとに久々だな。会いたかったぜ」
「俺も、ですよ」
「あ、生二つ。それと、菜の花のからしあえと揚げ出し豆腐、枝豆も」
慣れた口ぶりで、メニューを見ることもなく注文を進める姿に、少なからず驚く。
まだ未成年なんですけど、という小さな抵抗は無視された。飲めないわけではないから良いのだけど。
何度も来ていることが察せられて、またひとつ自分の知らない彼を見つけたことに落胆した。
お通しが運ばれてきて、何かから逃れるように箸を割る。マカロニやら野菜やらのカレー炒めらしい。
あ、おいしい。
「どうよ赤葦、キャンパスライフの方は?」
「高校に比べると楽で楽で、このままでいいのか不安になるくらいです」
「そっかそっか、やっぱ誰でもそんなもんだよな」
「あの。木兎さんは、」
彼女なんか、いないんですか。
ぽろりと唇の間から滑り出した言葉は、ずっと聞きたくてでも聞きたくないことだったから、今日は話題に上げないつもりのもので。あぁ、こんな形で、しかも会話の流れを無視した唐突なこのタイミングで、聞くことになるとは。実にらしくない。
やはり調子が悪いのだ、狂っているのだ。
心の中では頭を抱えて、表面上は焦る心を取り繕うために、ちょうど運ばれてきたビールに口をつけた。にが。
「へぇぇ、赤葦からその話題振ってくるんだな」
「うるさいですよ。で、どうなんです」
「いやぁ、好きな奴は、いるんだけどなぁ」
「え、そうなんですか」
「何びっくりしてんだよ。この年になってそれすらねーってのは悲しいことだと思うぞ」
好きなひとが、いるのか。
そりゃ木兎さんのいうことはもっともで、結婚だってできる年なのだからそのくらいあっても不自然ではないだろうに。
なんとなく、バレーが恋人と言わんばかりの彼だったから、好きなひとなんていないようなそんな勝手なイメージがあったのだろう。
彼もまたジョッキに口をつけると、喉を鳴らして流し込んでいく。一気に空にして、ブハーと豪快に快活に笑う姿がなんとも彼らしい。
「赤葦は?彼女とかできた?」
「いえ、今のところは特に」
「えぇー、好きな奴とかいねぇの?」
「あー、います、けど」
「えっマジで!?」
「なんですか、俺に好きな人がいることがそんなに意外ですか」
「意外っつーかいや意外なんだけどよ、お前のそういう話聞いたことなかったから。な、どういう人だよ?」
案外と食いついてきたこの手の話題を、ノックの音が遮った。
頼んだ料理が全て届いて、目の前に置かれたからし和えに心が高まる。
その様子を見てか小さく笑う声が聞こえて、咳払いを一つ。箸を手にとった。
「おいしいですね」
「だろぉ?ここオススメなんだよー」
「えっとそれで、好きなひと、でしたか」
「おぉ。すげぇ気になる」
なんか恥ずかしいですね、と前置きして、口を開いた。
あぁやはり、今日は随分と口がなめらかだ。
「まずなにより、わがままな人です。わがままで頑固で強情で単純で手がかかってしょうがない、そんな人です」
ちらりと盗み見ると、彼は出された料理をつつくこともなく、こちらの話に耳を傾けている。無言で先を促されて、一度手にとった箸を置いた。
「とても面倒くさくてしょうがないのに、どこか放っておけなくて。凄い存在感と人を惹き付けるオーラっていうんでしょうか、そういうものに満ち溢れてるんです」
「ん、それで?」
「でも、年を重ねるに連れてその人は、すごく大人びていって。あ、元々年上なんですけど。なんとなく、今まで隣にいたのに、急に置いていかれるような不安な気持ちに襲われました」
あぁ、本当に、言いたくないことまで、するすると引き出されていく。
それは彼の瞳がいやに優しいからか、それとも慣れないお酒の為か。
「それから、その人とは急激に会う機会が減って、どうせ叶わない恋でしたから、忘れようと思ってたんですけど。
いつまで経っても不毛な想いを引きずってしまって、辛くて、そろそろ忘れてしまいたくてしょうがないんです。
そのくせ忘れかけていた頃に連絡をよこして、また俺に好意を植え付けていなくなってしまう。もう、どうしたらいいのか」
目の前で依然として微笑み続ける彼に、「お前のことだぞこのミミズク野郎」と心の中で悪態をついて、所在なさげに料理をつついた。なんだか味が感じられない。
「そうかそうか、赤葦は本当にそいつのことが好きなんだなぁ」
「....そういう木兎さんは、どうなんです」
「え?」
「俺だけ教えるとか、無しですからね。木兎さんの好きなひとについても聞かせてください」
くりくりと丸い瞳をさらに丸くして、それから誇らしげに口を開く。あぁ、彼はどこからこの自信を手に入れてくるのだ。
「俺の好きな奴はなぁ、すげぇめんどくせぇんだ。すっげぇ冷たいくせに優しくてさぁ、厳しいくせに褒めるときには素直に褒めるしさぁ、どっちかにしろってんだよ!
いやそういうとこも好きなんだけど」
「なんか、らしいですね」
「そうか?あぁそれで、そいつは頭がキレるやつでさ、基本的に判断が早いやつなんだけど。自分に関することだけは、それが大事であればあるほど考え過ぎて悩みすぎて、おかしくなっちまうやつなんだよ。臆病って言い方もできるな」
にひひという擬音が似合う表情をして、俺を見つめる。
なるほど、これが好きな人を語るときの顔か。俺も先程、こんなにも緩んだ顔をしていたのだろうな。
「俺はそいつに告白なんかしようとしたわけだけど、付き合うなら結婚を前提にしてぇなあと思ってさ、落ち着くまで待とうと思ったんだ。
指輪でも用意して、ちゃんとプロポーズみてぇにしようって。まぁお陰でバイトに忙しくて、一年近くそいつとは連絡が取れなかったんだけどな。連絡取ったら会いたくなっちまうってのもあったけど」
「随分自信があるんですね。断られたらとか思わないんですか」
「まぁな。そりゃ不安だったけど、今ちょっと自信ついてんだ。それになんつーか、そんなこと考えてらんねぇってか、本当気で好きになるとこんななるんだって初めて知った。
あ、そうそう、髪型は黒髪のショートで、ちょっとクセがあってふわふわしてんだ。目は気だるげな若干つり目で、なんつーか全体的にシャープな感じ?って言えばいいのかな、よくわからんけどそうなんだよ」
そう言ったきり彼は、一度口を噤んだ。
未だこちらと合い続ける瞳に映るのは、きっと彼の想い人なのだろう。
幸せそうな顔しちゃってまあ、腹が立つことこの上ない。
そこまで好きな人がいるのだと思うと、その事実は不思議とすとんと身体に落ちてきて、案外すんなり納得することができた。
もっと醜く、目を背けることになると思っていなのだけど、俺の心はまだそこまで腐ってはいなかったらしい。
いや、泣きそうにはなっているのだけど。好きな人の好きな人の話というのはどうにも胃にも心臓にもくるものがある。
中途半端ですが中編終了です。だってまさかこんな長くなると思わないじゃない....!