大人二次小説(BLGL・二次15禁)
- Re: 文スト BL、R18有 乱歩受け中心 太中も ( No.62 )
- 日時: 2019/09/08 20:57
- 名前: 皇 翡翠
六日の朝と七日の指先 福乱
三
「また奇妙な病に引っかかったもんだねェ、」
二十代半ばの女性にしては物言いがはっきりしているのが与謝野晶子の美点だ。大学病院での連続不審死という不吉な巨塔が脳裏を掠めるような事件で出会った女医を呼び出せば、無骨な黒いトランク一つ引っ提げてその日の午後にはやって来た。聞けば、医局を辞めて闇医者紛いの商売をしているらしい。凄惨な事件のことが思い起こされてその身を案じずにはいられぬが、凛と澄んだ双眸を見て当時より生き生きとした口調を聞けば、杞憂であるとすぐにわかった。望んで咲く場所を変えた花に無粋な口出しはすまい。江戸川を拾って以来緩んだままの人情の手綱を締め直して、福沢は自身の問題に集中した。応接室のソファに聴診器やら精神分析表やらを広げた与謝野女医は、問診票と江戸川を見比べて溜息をついた。件の名探偵は不服そうに足をぶらつかせてそれに耐えている。観察の対象に下るのは性に合わないらしい。
「ねえねえ、さっきから何なの。僕は頗る健康だって言っているじゃない。何かあるならはっきり言ってよ。」
手にはいつの間にかラムネ菓子を握っている。
「乱歩さんに隠し事をしようとは思わないよ、」
与謝野は心を決めたようにバインダーを脇へやった。
「感情性健忘症だね。」
江戸川の眉がきゅうっと寄って、ハの字に曲がる。
「通常の健忘、つまり記憶喪失と違って、感情記憶だけが失われる突発性の病気だよ。」
福沢は唇を噛んで俯いた。病名こそ聞いたこともなかったが、数日の違和感の蓄積から予想していた内容だった。
与謝野の話では、脳の自衛機能の過剰反応で起こるらしい。負の記憶を消去しようとする未解の脳内物質が過剰に分泌された結果、健忘レベルの感情記憶の薄化が症状として現れる。脳のメカニズムが解明されていない以上自然治癒を待つしかない、云々。睡眠時に働きが強くなるため、一日単位で記憶の喪失が起こると聞けば、全ての辻褄が合った。
陳腐な同情の言葉を一切挟まぬ与謝野の説明は端的で、福沢はただそうか、と答える。表情を崩さぬ武人の拳はしかし、関節が白むほど強く握りこまれていた。一通りの説明を終えた与謝野はふと息をついて、未だ何の反応もない江戸川の方へ向き直った。
「随分冷静じゃないか。」
「別に、」
江戸川はふいと顔を背ける。
「通常の記憶自体には影響はないんでしょう?」
「ああ。」
「それなら問題ないんじゃない?名探偵は健在だ。」
「乱歩!」
よっと声を発して江戸川がソファから足を下ろす。
「大丈夫だよ、福沢さん。感情がなくなったわけでも、記憶がなくなったわけでもない。逆に、どうしてそんなに慌てているのか僕には―」
事無げに語る江戸川の声が萎んでいく。
福沢は奥歯を噛みしめて米神を押さえた。わからないんだけど、と口の中で溶かすようにひとりごちた江戸川の腕を、ぐいと掴まれた。それから、すがるような格好で頭を下げる。
「済まない、乱歩。」
「何で福沢さんのせいになるの、」
「切欠は私との口論だろう。」
江戸川が溜息をつく。
「あの時どう思ったのかなんて覚えてないんだから。」
福沢は何も言わない。少し意地悪な返事だったかも知れぬと江戸川は肩を竦めた。
「余分なものを引きずらなければ福沢さんが言っていたように人と接することができるかもしれないじゃない?」
「乱歩、」
福沢が打ちひしがれたような、怖い声を出した。凄まれても、江戸川には何もできない。絶望的な沈黙が応接室を支配した。
与謝野の静かな声がそれを破る。
「乱歩さん、妾は自然治癒すると言っただろう。未だきちんとした治療法は見つかっていないが、」
黒い鞄に、ひとつひとつ診察道具を仕舞っていく。与謝野の瞳が再び江戸川に向けられた時、そこには真摯な光が宿っていた。
「一つだけ、信憑性の高い統計があってね。感情への執着が症状を改善させるらしい。」
治すんだよ、と静かに言いつけて、女医は帰って行った。
- Re: 文スト BL、R18有 乱歩受け中心 太中も ( No.63 )
- 日時: 2019/12/03 21:09
- 名前: 皇 翡翠
四
晩冬すら終わりにさしかかっていた。
福沢の卓上の梅はついぞ散り、今は名前も知らない花の寄せ集めがちょこんと机を飾っている。元々花には疎かった。黄色い小さな花弁もいつかは枯れてしまうのだろうと思うと、塞いだ気持が一層沈んだ。花を愛でてこんなことを思わされたのは初めてだった。福沢は湿っぽい溜息を飲み込んで、重い万年筆を滑らせた。美しく微笑みかける癖に萎んで残らないのは江戸川の感情のようで、どうにも耐えがたい。
江戸川の病状は一向に回復せず、むしろ患者自身が病との共生に乗り気であることが目下最大の問題となっていた。曰く、負の感情がぐずぐず居残るよりは楽で良いらしい。福沢はふざけるなと叫びかけたが、そう仕向けたのは半分以上己の言葉であって、つい口を閉ざしてしまう。口元をきゅっと結んだ雇い主の顔をみつめて、江戸川は何事か呟きかけたが、読めない表情のまま執務室を離れた。発病してから、彼の心情がちっとも察せないのはなぜだろう。肩を落とした福沢に三月の風は冷たかった。
現場での江戸川は相変わらずの言いたい放題であったが、一時的な苛立ちに駆られて挑発的な物言いをすることはぴたりとなくなった。どうせ消えうせるとわかっているものに振り回される必要もないのだろう。歪な形で大人になろうとする養い子の笑顔が、ここ数日の福沢には毒だった。
窓からの西日が、ぴょんぴょんと跳ねた髪を柔らかく照らす。
「乱歩、」
「なあに、社長。終わった?」
「ああ。」
執務室に設えた小ぶりの応接セットにどんと腰を下した江戸川が、手にした小説を放り出して駆け寄る。福沢は最後の書類に筆を走らせ、万年筆を置くと立ち上がった。薄手の外套を肩にかける。江戸川は気に入りのジャケットを、常の通りだらしなく気ままに羽織っていた。
月末は三寒四温の言葉通り、ころころと天気に振り回される日が続いていた。一週間前からの約束通り二人揃って午後休を取り、近くを流れる川沿いの道をゆっくりと歩いた。何か布のようなものがぷかりぷかりと流れていった気がしたが、福沢は気にせず歩を進めた。背後からついてくる江戸川は楽しそうで、立ち寄る甘味処の選定を始めていた。
「社長、というか、福沢さん。」
わざわざ呼び直して江戸川が切り出す。
「何か話があって誘い出したのでしょう。」
「何故わかる。」
「そりゃあ、何故って、忙しい季節にわざわざ休みを合せようだなんて、社長らしくない。」
江戸川が数歩駆け出して、福沢の肩に追いついた。
「世の父親が突然息子を誘いに行くのとおんなじだよ。」
「そんなに突飛な行動に思えたのか。」
「だって、」
江戸川はぷいと顔を背ける。これで成人を控えた青年男子なのかと思うと頭が痛んだが、
「福沢さんは僕が誘っても五回に一回しか遊びに行ってくれないじゃない。」
そう言われてしまえば苦言も呈しづらい。二人はとぷとぷと流れる春の川沿いを、宛てもなく歩いた。卓上の花瓶で見るより、花々は生き生きと、それでいて凡庸に見えた。江戸川はそれに目もくれない。福沢もまた、前を歩く彼の気まぐれに跳ねた髪の毛ばかり眼で追っていた。
「僕は世界も驚く名探偵だけど、時々嫌になるくらい何もわからなくなるよ。」
やがて、つぼみの膨らみ始めた桜を見ようと立ち止まった折にぽつぽつと話し始める。江戸川がこんな風に真面目に話を切り出すのは珍しいから、聞き返さずに先を待つ。春先の陽光のように柔らかな声音には、いつぞやの険はちっとも残っていなかった。
「福沢さんは優しいけど、きっとその優しさの前に正しさを置いちゃう人なんだよね。僕にとって福沢さんは、父上と母上を失った僕に世界をくれた人だから…正しさなんて及びもしないんだけど。」
目に焼き付くほど、寂しそうで大人びた笑みを浮かべる。話しをしに連れ出したのは福沢だったが、すっかり主導権を奪われていた。暫し沈黙して、やがて、
「買い被りだ。」
低い声で呟く。江戸川が弾かれたように顔を上げた。
「お前が絡むと、私はいつも迷って、迷った挙句に主義も理屈も曲げてしまう。私が正しくあろうとするのは、ただお前にそうあってほしいと、願うからだ。」
本当はむしろ正反対だ。正しさは普遍でなく、また一つでもない。酷く多義的で、見る者を欺く蜃気楼なものだと福沢は思い知っていた。例えば、自らの剣を振るった先とか。―ほの暗い記憶が首をもたげて、慌てて頭を振った。
「お前は純真で、聡明で無垢だ。この二つが共存しているところを、乱歩、お前に初めて見つけたんだ。その爛漫さが、刃物になってはいけないと、そればかり考えていた。何故だかわかるか。」
江戸川はじいっと見つめる。
「やがて、お前を傷つけるからだ。大切な人に、傷ついてほしくないという、失敗者のエゴなんだ。」
福沢が静かに告げる。江戸川はぱちくりと数度瞬いて、表情を崩した。泣き出しそうな、困ったような顔している。
「乱歩、私はお前のことが好きだ。好きな人間に、共有した気持ちを覚えていてほしいと思ってはいけないだろうか。」
江戸川が細い眼をいっぱいに見開いて見上げる。適当に羽織った外套から伸びた腕を持ち上げて、手の甲でぐしぐしと頬を拭う。その仕草は初めて出会った時から変わらない。酷く子供じみた動作。
「福沢さんが好きって言ったの、初めて…」
朱色に色づいた目元に、長い睫毛を落とす。
「ずるいなあ…」
江戸川が呟いた。真冬の厳しい冷たさを失って、漸く膨らみ始めた桜のつぼみが見守るように二人を見下ろしている。福沢の濃灰色の着物にするりと腕を通して、江戸川は歩き出した。引っ張られるようにして川沿いの道をずんずん歩いて行く。
「どうした、急に。」
福沢がろうばいして尋ねる。江戸川は顔を見せまいと半歩前を急ぐ。ぐいぐい引っ張る腕が、ほんのり暖かかった。
「名探偵はクールでいなくちゃいけないからね。」
不貞腐れたように言った。春はすぐそこまで来ている。福沢は少し笑って、彼に好きにさせることにした。
それから、江戸川が小さな秘密を打ち明けるような声で、
「うん、忘れたくないよ。こんな気持ち。」
眼のふちまでせりあがった気持ちを溢さないように、澄んだスカイブルーの空を見上げて気持ち良く言った。
fin