大人オリジナル小説
- いつか降る雪
- 日時: 2011/02/26 23:02
- 名前: お
若草ゆきは、私を「カンナちゃん」と呼んだ。
他の人間は上の名前で呼ぶか――ぎりぎり聞こえるくらいまで
声を落として「リス子」と呼ぶ。
私が、いつも手首に白い包帯を巻いているからだ。
リストカットの「リス子」。
彼ら/彼女らは、純粋な悪意から私をそう呼んでいるのだけれど、
それは決して理不尽な悪意ではない。
実際のところ私は定期的に手首を切っているのだし、
悪意を受けるような生き方をしている。
私は、そうした悪意を当然のものとして受け入れることができる。
だから、傷つくこともない。
私は選んだのだ
――この立場を自ら作り出したのだ。
どうして傷つくことなどあるだろうか?
虚勢ではなく、あるいは開き直りでもなく、私は、因果を受け入れる。
■■■
悪意はブーメランのようなものだと思う。
それは戻ってくるのだ。
たとえば、猫を落とすこと。
それは戻ってくるのだ。
■■■
猫派か犬派かと問われれば、猫派と答えるだろう。
でも、私が犬ではなく猫を落とすのは、もちろん、そんな理由からではない。
単純に××工業団地の廃墟にはたくさんの猫がいるからだし、
スーパーのビニール袋に犬は入りきらないからだ。
猫を集めるのは、いつも私の仕事ではなかった。
以前は若草ゆきが集めてきたし、彼女がいなくなったいまは、
虎菱拓司がその担当を受け持っている。
若草ゆきが死んで、虎菱拓司が現れるまでのあいだ、私はひとりだった。
その空白の期間、私は自分で猫を捕まえなければならなかった。
容易な作業ではなかった。
野良猫たちはダイヤモンドみたいに硬く心を閉ざしていて、
人間に近づこうとはしなかった。
虎菱拓司は猫を集めるのがうまい。
■■■
虎菱拓司は猫を集めるのがうまい。
私と同じく、彼もまた滅ぶだろう。
戻ってくるのだ。
すべては戻ってくる。
呪いのかかった黒いブーメランが私たちの首を刈り取る。
ひゅんひゅん。
ばさっ。
■■■
チープなドラマの世界では、神様みたいな人間が登場することになっている。
主人公か、ヒロインか、いずれかがその役割を担う。
そして彼/彼女は、うちひしがれた彼女/彼にこう言うのだ。
「大丈夫。俺がずっとお前を護ってやる」
「大丈夫。あなたのこと赦してあげるよ」
その言葉は福音となって、相手を涙の海からひきあげる。
罪の意識から開放する。救いを与える。
バックにはピアノかオルゴールの曲が流れて、ふたりはキスをする。
奇跡が起こったりする。
目が見えない少女が光を取り戻し、傷つけられた時間が修復される。
物語はハッピーに終わる。
メディアは私たちを映す鏡だ。
私たちは、自分を完全に肯定してくれる誰かを――神様を、福音を求めている。
けれども、私たちは誰にも赦しなど与えられないことを知っているし、
それはすなわち、誰からも赦しなど与えてもらえないことであると知っている。
神様はいない。
福音はない。
奇跡はない。
けれども救いが必要だ。
恋愛か、世界の終わりか。
極めて卑近な対象か、果てし無く遠いモノか。
私たちはいずれかの救いにしか感情移入できない。
真ん中はない。
私は世界の終わりに救いを求める。
そして世界の終わりを、死と、定義する。
■■■
それを私に植え付けたのは、若草ゆきだった。
私たちは理解しあっていた。
私のなかには黒い太陽があった。
最高の環境が整っていた。
若草ゆきがそこに蒔いた種
は、芽を出し、蔦を伸ばし、私をがんじがらめにした。
私は死に取りつかれた。
死の触手は私の内臓まで入り込ん
で、血の色まで暗く変えていった。
結局のところ、若草ゆきは死んで、私は生きている。
彼女は救いを得て、私は得られなかった。
若草ゆきはベッドの上で静かに眠りにつき、
私はゲロの海で海老みたいにのたうった。
いまでもあの匂いは、私の奥深くにこびりついている。
皮をはがして肉を削ぎ、
骨を剥き出しにして匂いをかげばきっとゲロの匂いがするはずだ。
そんなのは、あまりに、みじめだ。
だから今度は、私の番だ。
若草ゆきが私にかけた呪いを、私はいま、虎菱拓司にかけなおす。
移植する。
若草ゆきが私にしたとおりのやりかたで、私は、彼を、死で縛っていく。
私は彼に身体を与える。
彼の精液をすする。
彼の舌を吸う。
彼は私の汗を舐め、私に性器をさし込み、私の首をやわらかく締める。
私たちはひとつになる。
そうして私に染み込んだ呪いは、虎菱拓司に伝染していく……。
私と同じく、彼もまた滅ぶだろう。
けれども、私が、先だ。
■■■
手を離すと、白いビニール袋がバサバサと音を立てて落ちていく。
それは鳩みたいに見える。その白さも、羽ばたく音も。
けれどもそれはスーパーのビニール袋で、
その中の猫は、羽ばたくことはできない。
猫はどこにも行くことはできない。私たちがそうであるように。
誰も猫を救えない。神様はいない。
奇跡もない。
やがてある一点に達すると、白い塊は、夜の闇に溶けるようにして消える。
ややあって、バシャッ、という音がする。
命が消え去る音が聞こえる。
静寂。
静寂。
静寂――夜の音。
私は猫を落とす。
私は死を体感する。
私は死を支配する。
私は、死だ。
廃墟の街に人の姿はない。
空には星も月もない。
――今晩は、彼、こないのだろうか?
身体の中の疼きを、自分で収めなければならない。
■■■
悪意はブーメランのようなものだと思う。
それは戻ってくるのだ。
たとえば、猫を落とすこと。
それは戻ってくるのだ。
- Re: いつか降る雪 ( No.2 )
- 日時: 2011/04/02 10:58
- 名前: お
でも……おっさんはこう言うかもしれない。
「俺は昔のままだ!」
「気分的にはお前らと変わらんよ……」
気分的にはねぇ……。
いや、いや……おっさん……気分的にはそうかもしれないけど、見てくれは完全におっさんだ
今のあんたは、昔あっただろう若かりし頃とは違う。
あんたがどう思おうと、時間はちゃっかりしっかりどっぷり進み、どんどん日常は濁った感じになっていくんじゃないだろうか?
私の日常とおっさんの日常はやっぱり違う……。
おっさんの日常は……なんか得体の知れない……私が知らない日常だよ。
それともおっさんは落ち着いた(疲れきった?)感じでこう言うかもしれない。
「俺もそう思ってた事があるよ……大人になるなんて永遠にないと……」
「でもな、気が付いたら、皮が厚くなって(皮下脂肪の事だな)、今まで考えもしなかった場所から毛が生えてて(指の第一関節とかな)、にもかかわらず大事な場所の毛が薄くなって(頭だ)……」
「気がついた時には……」
周りの人間だれもが、自分の事を子供としては見てくれなくなっ
た……」
「気が付いたら大人どころか……そんな扱いを通り越してこんな感じだったわけよ……」
……まぁ、いわゆる一つのおっさんってヤツだな……」
ああ、完全なおっさんだ……
私の知ってる日常じゃなくて……完全におっさんの日常だ……。