大人オリジナル小説
- 月下の曼珠沙華
- 日時: 2017/08/02 22:04
- 名前: 錐床の墓
時は一九七○年代。
二度目の大戦が終戦を迎え、早二十年が経った。
欧米諸国と肩を並べる程の大国となった倭国。
2度目の大戦で勝利した一方。
戦争から帰還した兵士達は、見えない苦しみに藻掻いていた……。
一九七五年、七月。
蝉が鳴き続ける夏の初め。
母親と共に、父親の見舞いに来ていた池崎亜美。
好奇心から病院内を冒険する内に、気付けば母親とはぐれていた。
涙目になる亜美。そこへ、声をかけた人物が……。
※残酷描写アリ。苦手な方はお戻りください。
作中、症状についての説明的部分がありますが、素人の浅知恵ですので正しいとは限りません。施設、地域等の名称は空想上のものです。
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- 悪夢.2 ( No.2 )
- 日時: 2017/07/30 01:35
- 名前: 錐床の墓
その後、戦争末期に入り、戦場での争いは激化した。
従軍した時、自分は二十歳を過ぎたばかりだった。
人を殺すという禁忌を犯したのも、戦場でだ。
護身用の銃剣を持たされていた。何時どこで、敵に襲われるのか判らなかった。
未知に対する恐怖と、膨れ上がる不安。
既に襲撃された街中を歩いている時だった。
敵に狙撃され、撃ち返した直後。背後をから襲い掛かられた。揉み合いになった。
相手が両手でナイフを突き刺そうとし、必死に防いだ。
無我夢中で銃剣を向け、胸に突き刺す。
深く突き刺さった感触がした。銃身を伝わって、皮膚と筋肉を貫く感触。
――殺せ。
歯を食いしばり、
引き金を引いた。
衝撃。銃声。
硝煙の臭いが漂った。暫くして、相手が死んでいる事に気づいた。
悪い夢でも見ているようだった。
死体を退けて、銃剣の剣を引き抜く。生々しい筋肉の感触。
剣身から滴る血。
一気に吐き気がこみ上げてくる。
それでも銃剣の血を布で拭い、油を拭き取った。
気付けば、手が震えていた。
動物や獣を殺すのとは違う。
動物や獣は、生きるために殺す。殺さなければ生きては行けない。
その命を奪っても平気だったのは、そう表立った理由があったからだ。
だが、同族を、自身と同じような人間を殺す――。
国の争いで。
震える手を握り、兵士の死体へと近づく。
そこでふと気付いた。死体のポケットに入った物。
写真だ。
可愛らしい笑顔の少女が写っている。その隣には、微笑みかける若い女性の姿……。
伸ばしかけた手を止める。顔を歪めた。
代わりに、見開かれたままの瞼を閉じさせた。
酷く胸が痛かった。
初めて指摘された。戦争の冷酷さを。
――人が人を殺す。これが戦争なのだと。
そこに個人の意思は尊重されない。
何時、何処で、誰に殺されるのか。
どんな悲惨な死を迎えるのか。
敵は何処にどれくらいいるのか。
未知が潜み続ける戦場での生活は、精神的耐性が無い市民兵にとって、緊張の糸を張り続けるようなものだった。
それは、酷く切れやすい、脆い糸だ。
ある日突然切れて――一気に崩壊していく。
狂っていく。自分の中の何かが。
沢山の死体が生まれた。
沢山の"死"を見続けた。
仲間が死んで行く様を、見届けて来た。
呆気なく人間が散って逝く。来る日も来る日も。
大切な何かが壊れていく。
感情がすり減っていく。
無数の死が埋め尽くす戦場で、生き残るには冷酷さが必要だった。徹底的な客観視。
正面から向き合う事実は、余りに残酷過ぎた。
戦場では、国の人間達が言う"勇敢さ"などは微塵も保っていられなかった。
人間味を捨てなければ――。
地獄から、這い上がる事は出来なかったのだ。
俺の背後に殺した人間が群がっている。
空虚な眼窩を向けて。狂った笑みを浮かべている。
今か今かと、俺が狂気に堕ちるのを待っているのだ……。
髑髏達は嗤う。
「忘れていたとは言わせない」
罪を忘れていた愚かな罪人を。
土煙と血に汚れた、昏い記憶。
「お前を、赦しはしない」
「罪からは逃げられないのだ」 と。
嗤いながら、深い闇へと引き摺っていく。
敵の兵士を殺した。
その兵士を殺した事もまた、罪として足されているのだと。
人殺し。人殺し。人殺し。
"お前は英雄なんかじゃない"
"――人殺しだよ"
そう言って、
脚から胴、首、やがては頭さえも。
……昏い闇の中へと、引きずり込まれていった。
ハッとして目覚める。
直ぐ起き上がって確かめる。 やはり、何時もの病院のベッドの上。額に手を当て、思わず息を吐く。
単なる夢だ。――過去の記憶の。
病院服はぐっしょりと寝汗に濡れ、気持ちが悪い。
「う"ぁ……、」
声が枯れている。
無意識に魘されていたのだろうか。
数年に何回か見る、悪夢。
何処までも残酷な、戦争の事実――。
癒える事の無い、塞ぎようのない傷。
戦争は三年で終戦した。
正しくは、自分が徴兵されてから、だが。開戦から五年。合わせて八年。
徴兵制が急遽発布されたのが、開戦から一年後である――一九六二年。
終戦間際の時点で、開戦当初からいる最も古参兵であった兵士は、既に"伝説"扱いとなっていた。
その兵士も、終戦から四年程経った頃に死んでしまった。
精神を病んだ末の、自殺だったそうだ。
この事は、直ぐには記事にされなかった。
生きた伝説とされた、"勇敢な兵士"の"醜聞"――自殺などという、"みっともない死に方"――を記事にされることを、軍が嫌ったからだ。
優秀な人材を集めるため、格好の宣伝材料だった兵士が、精神を病んだ末の自殺などと国民に知らされれば、軍に対するマイナスイメージが着く。
それを軍の上層部は恐れ、各々の新聞社に圧力を掛けた。今だ軍関係の政治家が居座る状況を利用して。
戦争に関するあらゆる文献は規制され、許可されたモノだけが世に出された。
近年、政府による規制は緩まりつつあるが、それでも内容が余りにも濃すぎる場合は没となった。
不意に、机に生けられた花を見る。
白い花。まだ枯れていない。
時折、故郷の知人が訪れて来る。
白い花ばかりを束ねた、花束を持って。
見舞いを兼ねての、病院の裏にある、戦死者を悼む慰霊碑に捧げる為にだ。
白は無を表し、霊を悼む弔いの色でもある。
二十歳になったばかりの頃は、まだ白かった。
まるで自分だけが酷く、歳をとってしまったように思えた。
何ら変わりようのない知人達の姿を見ると、何故か酷く、表し難い複雑な感情に囚われる。
それが罪悪感からか、非日常から抜け出せた安堵からか。
解らない。全て。
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