大人オリジナル小説
- LIFE
- 日時: 2014/09/25 11:04
- 名前: TAKE
午後七時、帰宅ラッシュの乗客を乗せた電車が急停止した。
何事かと、アルバイト帰りの青年は動揺した。ほどなくして、人身事故を起こしたとの旨を伝えるアナウンスが流れた。
通過する筈だった駅のホームでおよそ一時間近く、電車は現場検証の為に停車したままだった。窮屈な車内で不満を漏らす声や、帰りが遅くなる事を電話で伝える声が続いた。
一通りの作業が終わり、電車の扉が開いた。復旧まで更に時間がかかる為、トイレで用を足す者や、この駅から別の手段で帰るという者は下車した。
青年もその一人だった。自宅からはさほど距離がないので、タクシーを拾おうとホームへ降りた。
出口へ続く階段を下りようとする時、青年の目に飛び込んできたのは、轢死体の一部だった。どの部位なのかは判別が付かないほどに細かく、異様に白い肌の肉片が、ホームの先端に転がっていた。
つい先ほどまで、彼もしくは彼女がここで生きていた。
寸断されたその遺体では、遺族も悔やむに悔やみ切れないだろう。
その瞬間、痛みを感じたのだろうか。
肉体が離れてゆく様子を、その脳は理解していたのだろうか。
わずかな吐き気をもよおしながら、青年は急ぎ足で駅を後にした。
通過する電車の前に飛び出したのは、日常的にイジメを受けていた男子高校生だった。
その事を知ったのは、朝の情報バラエティ番組での事だった。昨夜の光景を思い出し、青年はベーコンエッグを食べる手を止めた。
そのままパソコンを開くと、キーボードを叩き、彼は一編の詞を書いた。
死ねば楽になる、なんて考え方を、彼らはどこで身に付けるというのか。
生きていてこそ苦楽を感じる事が出来るものだというのに。学校という小さなコミュニティで起こる格差なんて、外に出れば微々たるものなのだと気付く事が出来たかもしれないのに。
誰かの役に立つ音楽を。そんな想いで綴った言葉に、緩やかなメロディを乗せた。
三日後、青年はギターとアンプとマイクを携えて、駅前の広場へ向かった。曇り空が広がる空の下、人々は足早に通り過ぎてゆく。
機材を広げ、「星野なおき」と名前だけ書いた簡素な看板を立て、彼は歌い始めた。最初は人の足を止めるため、誰でも知っている曲をいくつか演奏する。
B・Bキングの「stand by me」を歌い終える頃には、十人ほどの観客が目の前に屯していた。
「通行の邪魔になるといけないので、もう少しだけ近くに来てもらえますか?」彼が言うと、観客は二、三歩前へ進んだ。
本当は、観客の存在を近くで感じていたいのだ。自分を認めてくれているその目線が、他の何よりも安心感を与えてくれる。
アップテンポなオリジナルを二曲続けて演奏したところで、鼻の頭に雨粒が当たるのを感じた。雨の匂いは序々に強くなり、今にも本降りになりそうな空だった。
「すみません、次で最後の曲にします」そう言うと、彼はギターのチューニングを修正し、出来たばかりの新曲を披露した。
また今日も誰かが 線路へ飛び込んで
数え切れぬ人が 足止めをくらった
車輪が彼の身を 引き裂いたその時
遠く離れた地で 産声が響いた
駅前というシチュエーションも相まって、至極残酷な描写から始まる曲を、彼はその内容とは対照的な至極優しい声で歌った。
生きて 生きて 幸せを掴んで
それが僕らに ただ一つ出来ることかも知れないから
そんな言葉で曲を締めくくると同時に、雨が強くなってきた。
聞いてくれていた観客へ頭を下げると、彼はアンプの故障を防ぐため、ギターケースから出したビニール袋をかぶせた。
「お疲れ様でした」
不意に、後ろから傘が差し出された。途中から観客に加わっていた、リクルートスーツ姿の女子大生だった。
「あ、どうも。ありがとうございます」
他の観客が足早に去ってゆく中、二人は会話を続けた。
「最後の曲、すごい好きです」ジャケットのボタンを弄りながら、彼女は言った。
「よかった。今日初めて披露したんで、ちょっと不安だったんですよ」
「なんだか教訓になる言葉が多くて、歌詞に聞き入っちゃいました」
自分の作った曲が、少なくとも彼女の役には立ったようだ。そう思うと、今まで感じた事の無かったような喜びを覚えた。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです」
「いえ、そんな」彼女は、少しうつむいてはにかんだ。「機材……大丈夫ですか?」
「ああ、ええ。いつも袋は入れてあるんで」
「傘は?」
「あ」
楽器への備えは万全だったが、自分の事を考えていなかった事に気付いた。
「コンビニあたりまで、入っていきますか?」傘の方へ一瞬目線を移し、彼女は言った。
「いいんですか?」
「はい、全然」
そう言いながら、彼女は顔の前で小さく手を振った。
「じゃあ、お言葉に甘えますよ。助かります」
「いえいえ」
相合傘なんて、何年振りだろうか。
二人並んで暗くなった街を歩きながら、彼はそんな事を思った。身長差があるので、彼女の傘を自分が持っている。
「普段は、どんな音楽聞くんですか?」
なんとなく、当たり障りの無い話を切り出してみた。
「コブクロとか、好きですよ。あと、斉藤和義なんかも」
「へー。斉藤和義なんて、若い世代で好きな人って珍しいですよね」
「そうですか? セクシーでかっこいいと思いますよ。コナンの主題歌もやってたし」
「ああ、確かに。『せっちゃん』ってあだ名の由来とか、知ってます?」
学生時代に四六時中「セックスしたい」と言っていたからだそうだ。そんなネタ振りをしてみると、彼女は顔を赤らめながら、声を上げて笑った。
「知ってるけど、それ女子に言わせたらセクハラですよ」
「そうね、上司とかじゃなくて良かった。……そういえば、就活ですか?」
リクルートスーツについて、彼は問いかけた。
「はい。面接の帰りです」
「どんなとこ目指してるの?」
「えっと……中学校の教員です」
口に出してから、彼女は照れくさそうな表情を浮かべた。
「すごいね。大変そうだ」
「すごくないですよ。内定だって、全然取れてないですし」
「目指してるだけでも立派ですよ。俺なんか、言ってみればフリーターだし」
「そっちも夢持ってるから、いいじゃないですか」
「そうかな。しかし、女教師って響きはなんか……いいよね」
「セクハラですよ」
「はい。すみません」
他愛も無い会話を続けていると、最寄りのコンビニに辿り着いた。
「じゃあ、ここで」
彼は傘を返却した。
「次はいつやるんですか?」彼女は問いかけた。
「毎週火・木に、同じとこでやってますよ」
「じゃあ、また見に行きますね」
「是非。今日はありがとう」
「いえ。私も、お話出来て楽しかったです」
彼女は『全然』と言った時と同じように手を振った。
「就活、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。……それじゃあ、また来週あたりに」
- Re: LIFE ( No.3 )
- 日時: 2014/09/29 13:39
- 名前: TAKE
帰宅した彼は仮眠を摂ると、夜の一時に起床し、東北自動車道を車で走り抜けた。
暗闇の中、後ろへ流れてゆくオレンジ色の道路灯はどこかSF映画のワンシーンを連想させ、アクセルを踏み込んでいるプリウスは、過去へと戻るタイムマシンのように思えた。
蘇ってくる父との思い出は、大して楽しめるものではなかった。
地銀で働いていた父は口数が少なく、夕飯時に呑んだ焼酎の勢いで喋ったかと思えば、おおかた仕事の愚痴だった。笑う事が罪だとでも言うかのように生真面目で、無表情な男だった。
彼が美容師を目指そうと決めた時も、父はその商売に対する不信感をチクチクと指摘した。
専門学校に行くなら、学費は自分で工面しろとの事だった。上京した彼はバイトを掛け持ちし、遊ぶ余裕も無かったが、そんな甲斐あってか、在学中から働いていたサロンのオーナーに支援を受け、去年の暮れには自分の店を持つ事が出来た。
その頃にはもう、父は行方不明となっていた。未曾有の大災害が起こり、独立の報告も出来ないまま時は過ぎた。
空が白み始めてきた。左手の下方に水田や畑が見え、山の中を通り抜けるトンネルが多くなると、故郷が近づいてきている実感が湧いた。
高速道路を下りて街を抜けると、馴染みのある風景と、復興がままならずに未だ見慣れない風景が混在していて、ちょっとした夢を見ているような気分になった。
津波は、実家の隣にある一軒家を半分ほど浸食したところで治まった。その家も全壊には至らなかったが、基礎がかなりぐらついた為、そこに住んでいた夫婦と娘は、仮設住宅での生活を余儀なくされている。
「ただいま」
玄関の引き戸を開け、彼は靴を脱いだ。
「おかえり。早かったわね」彼を出迎えた母は言った。
居間へ行くと、畳まれたボロボロの衣服と骨壷があった。
「火葬供養だけ先に済ませたの。今日はご近所さんもいらっしゃるわ」
「そうなんだ」彼は体をかがめ、服を手に取った。「これ……本当に父さん?」
母は頷いた。
「所持品検査と骨髄鑑定もしたから。間違いないそうよ」
「……そっか」
十時頃になると僧侶が訪れ、仏壇の前で読経を始めた。
「あの日から長い時間が経って、故人も辛かった事と思います」僧侶は言った。「今日は目一杯、ご帰宅なさったお祝いをしてやってください。それが何よりの供養になりますので」
僧侶を見送った後、すぐに寿司と惣菜の出前が届いた。テーブルを広げ、皿に盛り付けた料理を並べると、隣家に住んでいた仮設暮らしの親子と、向かいに住む夫婦、それに父が勤めていた会社の部下がやってきた。
卓を囲んだ話の内容は、やはり震災当時の記憶に遡った。
「出来れば思い出したくないけど、忘れちゃいけないですよね」向かいの妻は言った。
「ここいらは坂になってたおかげで、名取辺りと比べるとまだマシでしたね」夫が言った。「それでも吉野さんなんて、大変な思いをされてますもんね」
「ああ、うちは本社への異動が最近決まった事もあって、来月に引っ越すんですよ」隣家の夫は笑顔を浮かべ、ビールの入ったコップを傾けた。
「あら、それはおめでとうございます」母が言った。「じゃあ、風花ちゃんも転校しなきゃいけないのね」
「そうですね」妻は娘の肩を撫でながら言った。「もう高三だから、出来れば卒業してからの方が良かったんですけど……」
「でも、仮設に二人置いて単身赴任ってわけにもいかないからね」夫は口を歪めた。「井上さんのところは、大丈夫だったんですか?」
「うちもアパートだったし……あと独身なので、被害は少なかったですね」少し自虐的な笑いを含めて、会社の部下は言った。「こうして皆さん集まっているだけに、たまたま取引先へ出かけていた篠崎さんだけが亡くなったというのは、残念でなりませんよ」
そんな言葉を聞くと、皆思い出したように手を止め、骨壷を眺めた。
「愚痴しか聞いた事がなかったので、会社での父はよく知らないんですけど」彼が口を開いた。「イヤな上司じゃなかったですか?」
「そんな風に思った事は無かったな」心外だ、というような顔で部下は答えた。「呑みに行くと、君の自慢話をよく聞かされたよ」
「俺の?」
「うん」部下は頷いた。「『絶対音を上げると思ってたけど、あいつはやると決めたらやる男だった』とか……。今、美容師やってるんでしょ?」
どこまで頑固なんだろうかと、彼は思った。
自分の知らないところで認めてくれていた事が、どことなく腹立たしくもあり、嬉しくも感じられた。
「ちょっと、スーパーでお茶っ葉買ってきてくれない?」
食事が終わると。母は彼に買い物を頼んだ。
「分かった。他には?」
「そうね……卵と牛乳切らしてるから、それもお願い」
車の鍵と財布を持って、玄関で靴を履いていると、隣家の少女がやってきた。
「私も行っていい?」
大人に囲まれて世間話を聞いているのは、どうにも退屈なのだという。
彼女の両親に許可を取り、外へ出た二人は車に乗り込んだ。
「風花ちゃん、どこに引っ越すの?」交差点へ向かって直進しながら、彼は言った。
「埼玉だって。洋一君は東京にいるんでしょ?」
面倒見の良い彼の事を、彼女は小学生の頃から慕っていた。通っている学校から家までは距離があったので、下校すると、友達よりも彼と時間を共にする事が多かった。
「近いから、どこかで会えるかも知れないね」彼女は言った。
「かもね。でも、高校の友達と離れるのは辛そうだな」
彼はカーナビのラジオを付けた。外国人風のDJが軽快に曲紹介をしている。
「まあね。不安もあるし」
「向こうでまた友達作らないとな。そういえば、彼氏なんかは?」
訊いてみると、彼女は首を振った。
「女子校だから、あんまり出会いはないよ」
「そっか」
ラジオからは、野太いシャウトの効いたガレージロックナンバーが流れていた。歌詞が英語なので、どこかの大物アーティストがリバイバルするのかと思ったが、歌っているのは結成一〇年目の日本人バンドらしい。
「洋一君は、彼女いるの?」彼女は訊き返した。
「いるよ。もうすぐ二年になるかな」
「そっか。……どんな人?」
彼は、店へ来た客に対して頬を膨らませる彼女を思い出した。
「ツンデレ、なのかな。あとヤキモチ焼き」
そう言うと、彼女は笑った。
「なんか、めんどくさそうだね」
「んー……たまにね。でも、そこがかわいいとも思うし。ちゃんとしなきゃいけない時は、向こうがリードしてくれる事もあるしね」
「そっか」
スーパーに着くと、二人は車を降りた。土日の買い物時とあって、なかなかの賑わいを見せている。
頼まれていた茶葉と、卵と牛乳をカゴに入れると、他には特に買うものも無いが、何となく売場を巡った。
「何か欲しいのある?」そう訊くと、彼女は目を見開いた。
「買ってくれるの?」
「まあ、今日ぐらいは。あんまり高いのはダメだよ」
その言葉を聞くと、彼女は早足で化粧品コーナーへ向かった。
どうやらヘアスプレーを探しているらしい。
「それは枝毛が出やすいから、こっちの方がいいよ」
彼は、彼女が手に持っているものと別の商品を棚から取った。
「さすが美容師」感心した口調で、彼女は言った。
少し遠回りして、彼らは会話をしながら時間を潰した。
「進路とか、もう考えてるの?」
彼が訊くと、彼女は首を捻った。
「最近まではなんとなく決めてたけど……引っ越すから、また向こうで考えないと」
「あー、そっか。厄介だね」
「そうなの」
彼女は、看護士になりたいのだという。
「ケガした人とか、死んだ人とか、色々見てきたから。友達でもなりたいって言う子多いんだよ」
「いいね」彼は言った。「専門学校に進むの?」
「うん。大学だと、必要ない教科も受けないといけなくなるから」
「なるほどね」
なんとなく学生生活を過ごしているように見えても、色々と考える事はあるものだ。
高校時代の自分を思い出し、彼は懐かしい気分に浸った。
交差点を抜けて坂を上り、家の前に着くと、彼女は不意に彼の左手を握った。
「どうした?」理由を訊いてみるも、彼女は黙っていた。
「俺、彼女持ちなんですけど……」彼は少しおどけて言った。
「うん」頷いた後も、彼女はしばらく手を離さなかった。「ちょっと寂しいだけ。特に意味は無いから」
ハイブリット車の静かな音だけが響く中、時間は過ぎていった。
頃合いを見て、右手でそっと彼女の手を解くと、彼はエンジンを止めた。
「……大丈夫、また会えるよ」